まるで猫のように 1




 構内は静まり返っている。もう講義が始まっている時間だ。
(でも法律研究の山口、大体遅刻してくるからな、まだ間に合うか…。)
そろそろちゃんと出席しておかないとやばいコマ。教室の後ろのドアから入ると、山口はもう講義を始めていた。 今日に限って時間通りに来たらしい。
(こいつ、最初に出席とるんだよな。ちっ、帰るか。)
きびすを返して教室を出て行こうと思った所、後ろの方の席に座っているやつらが俺に向かって手招きしている。 平山と百地(ももち)だ。俺はそれを目に留め、並んで座っている二人の真後ろの席に腰を下ろす。

 「代返だいへんしといてやったぜ。」
小声で平山が俺に話し掛ける。
「まあ、私の助言だけど。」
口の端を少し吊り上げながら、高飛車に言ったのは百地だ。 入学当初から俺に馴れ馴れしく話し掛けてきて、そのまま成り行きで仲良くなってしまった腐れ縁のような平山の彼女。
「講義の後の缶コーヒーで感謝の気持ちを認めてあげるから。ありすちゃん、よろしく。」
「…お前、どんだけ偉そうなんだよ、何様だ。」
嫌そうな顔をして呟いた俺に百地はにっこり笑って即答した。
「女王様。」
「由里ちゃんの今日のテーマは女王様って事らしいから、気を付けないとマジでしばかれるぞ。」
平山は苦笑しながら俺の方を見る。いつも突拍子も無い格好をしている百地だが、確かに今日はまるでSMの女王様のような出で立ちだ。 無駄にバックルのついた黒い細身のレザーパンツにコルセット、首輪と言ったほうがいいようなチョーカーに同じデザインのバングル。 どう見ても堅気には見えない…。
「もっとしっかり彼女教育しろよ、平山。」
ため息と共に言うが、平山は一切気にしてないようだ。かまうのもバカらしくなって、俺は一応ノートを広げ、 講義を受ける姿勢だけは見せる。 二人もそれ以上話しかけてくる事なく、前へと向き直った。



 講義が終わって、仕方無く俺は二人に缶コーヒーをおごる為に休憩所へと向かった。
「あ、そうそう。面白いもの貸してあげる。」
百地が缶コーヒーを飲みながら楽しそうに俺に話し掛けてきた。
「ん?なんだよ?」
煙草を吸いながら面倒そうに答えた俺にこれ、とCDらしきものを差し出してきた。
「例のアレか〜?結構キツぞ。悪ぃな、俺の彼女、腐ってて。」
ニヤニヤしながら平山が言う。
(腐ってるってことは…あのネタか…)
「受けの子がね、ありすちゃんと同じ名前なのよ、これが。 有栖川透真ありすがわとうまなんて耽美な名前してるもんだから。 さすがに苗字は違うけどね。でもそれ以外の楽しみもあるのよ。」
「……平山・・お前も聴いたのか?」
「ああ。少なくとも強姦、鬼畜モノみたいなヒドいやつじゃなかったから安心しろ。」
「お前ら、とんだ変態カップルだな…」

『そりゃどうも』

 二人で声を揃えて笑顔で返事をしてくる。ある意味お似合いなのか。




 「ああ、友達と飲みに行くから飯いらねえし、今日は帰んないから。…うん、そんじゃ。」
家への電話を終えて、俺はがくのマンションへ向かう。 学は一年前に百地に頼まれたバイトで知り合ったモデルで、俺の…恋人だ。 今日は仕事が早く終わるから7時頃には帰ってくると言っていた。 忙しいあいつとはあんまり一緒にいられる時間が無い。 暗証番号も教えてもらってるし、合鍵ももらっている。
 家の主がいなくてもちょこちょこ訪ねては俺がいた痕跡を残していく。 使いっ放しのコップとか、俺の煙草の吸殻とか、うまいって食ってたコンビニのデザート置いてったりとか。 もう既に勝手知ったるとばかりに上がりこみ、荷物を下ろす。 まだ学が帰ってくるまでには時間がある。 とりあえず勝手に冷蔵庫からペットボトルのお茶を拝借し、今日は何して時間を潰そうかと考えていたら、 ふと今日のやり取りを思い出す。
渡されたCDの事…。
(暇つぶしにはもってこい、か…。)
CDを鞄から取り出してオーディオセットの前に座り込み、CDを入れる。 近くにあったクッションを手に取り、煙草に火をつけ、再生ボタンを押した。

 (…ってか、全然キャラちげーじゃん。)
いわゆる学園ものなんだろう。確かに主人公の名前が『とうま』ではある。 だが、自分とは正反対の性格だ。可愛いというのか、素直な直情型というのか、これで高校生かと 疑いたくなるような性格と高い声。 俺は自分で言うのもなんだが、可愛げなんて欠片も無い。よく言われるのは、 「怖そう」「冷たそう」だ。
 中、高生時代には「なんか影があって格好いい」とか言われて、そこそこモテもしたが、 実際彼女と上手くやってくのは、平山みたいな愛想のいいやつだ。 まあそんな事言って寄ってくる女なんて大したのいなかったけど。

 それにも増して驚いたのがこの相手役の名前だ。『がく』って…。百地のやつ、 気付いてやがんのか。 何か匂わせるような事言ってたような…。
 この話の中の『がく』も大分性格が違う。『がく』は『とうま』にベタ惚れらしく、 とにかく甘やかしまくる世話焼きなタイプだけど、学はどっちかといえば横柄な感じだ。 本人曰く、「顔と身体で金稼いでんだ。」と豪語する190を越す長身と東洋人のいいとこ取りをしたような 整った顔が同じ男として、張り合う気もおきねぇ程の完璧さ。 それで天狗になればまだ可愛げもあるが、そんな所も無くて、悔しい位に大人だ。
(こんな甘やかされたら、俺もこんなになんのか?……いや、ねぇな、キモい…)
 それでも好きだ、付き合えって言ってきたのは学の方なんだよな。 あんまりベタベタしてこない、それはきっと俺が嫌がる反応をするから。 まあ、優しい事は優しいけど…。



 そんな事をつらつら考えていたら、急にスピーカーから甘い声が…
『…あぁ…ん……がくってば、いきなり……』
『いいだろ?とうまだってもう…その気だろ……ほら、こんな熱くして…』
上擦った声と囁く声。キスしてる設定なのか、くちゅくちゅとやらしい水音もする。
(うわっ、マジか!?演技だとしてもこれ、恥ずかし過ぎだろっ!!下手なAVよりよっぽど やらしいんじゃ…)
『あんっ…がくぅ……もう、挿れてぇ……』
思わず銜えていた煙草を落としそうになって慌てた。
「あっぶねぇ………。」

 「何だ、すげー出迎えかと思ったら。」
背後から聞こえた低い声に吃驚する。焦って振り向くと、そこには長身の見慣れた姿があった。 ニヤニヤしながらソファに腰を下ろし、とんでもない事を口にした。
「俺がいなくて寂しくて、オナニーでもしてんのかと思った。」
「バカかっ!!!!!んなことするかっ!!大体、俺こんな声出さねえだろうがっ!!!!」
とにかく恥ずかしくて、慌ててオーディオの電源を落とす。タイミング悪いよ、こいつ。
「百地が俺に面白いもの貸してやるって渡してきたんだよ…。」

 別に関係無いけど、しーんとなった部屋の空気に耐えられず説明した。 まだ恥ずかしくて顔は見れない。
「由里ちゃんか、くくっ。あの子ならやりそうな事だな。」
付き合いだしてから知った事だったが、百地と学は従兄妹同士だ。 言われてみれば、百地も普通に見れば綺麗な顔をしている。性格がアレだが。
「…………あいつ、気付いてんのかな…。」
「そうかもな。んで、俺らの反応を楽しもうと思ってんな、これは。お前を紹介してきたのも あの子だし、ひょっとしたら俺の好みがバレてんのかも。」

 まだおかしそうにくすくすと笑ってやがる。なんか余裕なこいつが無性に腹立たしい上に、 俺はまだドキドキしていた。それがバレるのが悔しくて、俺は抱えていたクッションを学に 向かって投げた。
「いつまでも笑ってんじゃねえっ!」
「おいおい、それがお前の為に早く帰って来た恋人にすることか。」
余裕でクッションを受け止めて、こっちに来いとばかりに自分の座っているソファの隣を ぽんぽんと叩く。 仕方ないという雰囲気をばりばりに出しつつも、大人しく言うとおりにソファへと移動する。 ふと時計に目をやるとまだ6時だった。 確かに早く帰って来てくれたらしい。
「…仕事、ちゃんと終わらせてきたのかよ。」
「当たり前だ。相手のモデルもそこそこ歴長いやつだったし、テイクが少なくて済んだんだ。」

煙草を取り出し、火をつける。たったそれだけの仕草でも様になる。 ブラックジーンズに生成りのざっくりとしたニット、それに色の薄いサングラスという なんでもない格好だけど、さすがモデルと言うべきか、まるで雑誌からそのまま出てきたかのように 見える、のがまた何となくムカつく。
でも嬉しい言葉と共に髪を梳くように頭を撫でられて、嫌味の一つでも言ってやろうかと思っていた 気持ちも直ぐに萎えた。
「今日はずっと居られるんだろ?」
「ああ、連絡はもうしてあるから。明日てきとーに帰る感じ。」
「それなら飯食いに行くぞ。朝から水しか口にしてねぇから腹減ってるんだ。」
さっきまでの事はまるで無かったかのように、普段通りの会話。 でも俺はほっとしていつものように無愛想に返事をした。