チョコレートより甘く 1




 「そういえば、どうすんですか?」
一瞬自分に問い掛けられているのかも分からなかった。
「…え?……何を?」
本当に素で返事をした。返された坂木の方もきょとんとした顔で返してきた。
「何をって、決まってるじゃないすか。これですよ、これ。」
二人でバイト先のコンビニのイベントコーナーの設置を頼まれて、商品を陳列している真っ最中。その商品を俺に見せ付けるように突き出してくる。その手には赤い包装紙に包まれた、ハート型のチョコレート。
「バレンタインといえば、恋人同士の一大イベントじゃないっスか!!」
結構なボリュームの声で坂木が宣言する。幸いな事に客の少ない時間帯。だからこうやって二人で作業しているのだけれど。
「律に欲しいって言ったら、じゃあ作ってあげるね、とか言ってくれちゃって。それじゃ俺もあげようかな、なんて。」
俺に聞かせるとかいう感じでも無く、一人ヤニ下がってノロケてくる。あいつ、甘いもの好きなんすよね、とか言いながら。

「……俺には関係ねえよ。」
ぼそっと言えば、間髪入れずにつっこまれた。
「ええっ!欲しいとか言われないんすか!あのイケメン彼氏に!!」
「バカっ!んな事、デカい声で言うな!」
すいません、と小声で返してきた。全く、恥ずかしいヤツだ。
「でも、余裕っすね、有栖川さんも。律から聞いたんですけど、すっげー有名なモデルなんですよね?きっと山のように貰うんじゃないですか?羨ましいっすよねえ。」
言われて気が付いた。学が貰わない訳がない。日本中、いや下手すれば世界中からくるんじゃないのか。


 俺、あげなきゃいけないのか?



 バレンタインは日増しに近づいてくる。坂木はなんとかっていう有名なパティシエ監修だかのチョコを予約したらしい、しかもバイト先で。あいつは恥ずかしいとか、そういうの無いのか?

 かくいう俺はここの所、悩み続行中どころか、更に大きくなっていた。
 大体、俺はあいつがチョコを食ってる所を見た事が無い。嫌いなのかもしれないし、体調管理で食わないようにしてるかもしれない。しかもこの時期に男がチョコを買うというのは、もの凄い抵抗がある。坂木は…あいつは特別だ。
 それでこの間、学の家に行った時に目についたのがワイン。いつも決まった銘柄のを飲んでるみたいだったから、こっそり調べてみた。シャトー・ラフィット・ロートシルト……1本8万ってなんなんだよ!こんな高いワインを普段、普通に飲んでんなよ。
 それ以外にも考えてみたけど、俺が買える程度のものなんて、学には似合わない気がして他のもので手を打つのも難しい。


 2月に入ってから1度だけ予定が合って、学の家にも行ったけど特にバレンタインの話題にはならなかった。勿論、俺からも何も言えずに。学は何とも思ってないのか、あえて口にしないのか、それも分からないままで、何だか俺だけ悶々としてるのかもと思うと、それはそれで馬鹿らしいような気にもなるけど。
 でも一度指摘されてしまって、週3以上で入れてるバイト先では嫌という程その状況を認識せざるを得ないのだ。女子高生だかがコーナー前でたむろって話してる内容も耳に入るし、はたまたチョコの予約を承る事もある訳で。それで気にならないと言うのは嘘だ。

 学がチョコ程度で他のやつになびくなんて事は、まあ無いと思う、多分…。でも、期待してたら?それで何もなくて、がっかりして、幻滅して…って事は万に一つも無い、と言い切る自信は俺には無い。
 どうしたらいいんだと思いながらも、毎日のように答えが違う。あげなくてもいいじゃないか、と思う日もあれば、何でもいいから用意した方がいいんじゃないかと思う日もある。暇さえあれば、頭に浮かぶのはそんな事ばっかりで、ついバレンタイン当日のバイトは休みにしてしまった。何も言われてもないし、俺からも当然の事ながら言ってないんだけど。

 前日になっても特に連絡は無くて、俺は一人、時間を持て余していた。予定も無いのに、朝普通に目が覚めてしまった。二度寝をきめこもうとベッドでごろごろしていても、いつものようには眠気が襲って来ない。どこかそわそわと落ち着かないのだ。
 惰眠を貪ることは諦めて起きた所ですることはない。


 結局、足が向いたのは学の部屋。とりあえずインターフォンは鳴らしてみたけど、当然のように反応は無くて。勝手に上がり込んで、ソファへと腰を下ろす。
 バレンタインの日に一人で何やってんだ、と思いながら学の気配のする部屋は心地良くて。遮るものの無い高層マンションの窓からは昼下がりの暖かい日差しが差し込み、その日差しはソファまで伸びて陽だまりを作っていた。俺はその暖かさと、またそれとは別の温もりみたいなものを感じて、導かれるままにソファに横になる。あれ程訪れなかった眠気が一気に襲ってくる。最近、ごちゃごちゃ考えている事が多くて、あまりよく眠れていなかったからかも知れない。クッションを抱きかかえてそのまま眠りに落ちていった。







  あ、学が帰ってきたみたいだ。
「来てたのか。どうしたんだ?」
「おかえり。いや……その、暇…だったから………。」
もごもごと口ごもりながら答える。そんな俺の前にすっと伸ばされた手。何事かと、学の顔を見上げる。
「チョコ、俺にくれるんじゃねえの。」
当たり前だとでも言いたげな口調。俺は一気に青ざめる。やっぱり用意しなきゃいけなかったのか。あれだけ悩んでおきながら、結局何も用意出来なかった。あたふたと居住まいを正して、でも素直に謝罪の言葉は出てこないで、俯いてしまう。

 あからさまな溜息。ビクリと肩が震えてしまう。でも自分から言葉を発することも出来なくて。
「…………あっそ。俺、飯食いに行ってくる。お前は好きな時に帰れ。」
俺に背を向けた気配がして、顔を上げた。目に入ったのは玄関へ向かおうとしている学の背中。思わず名前を呼んだ。
「学っ!俺、俺は……。」
「じゃあな。」
冷たく言い放たれた。まるで別れを意味するような言葉。こちらを振り向く事もせずに身体の芯から凍えてしまいそうな素っ気無い声で。
「…っ……学、待ってくれよっ…学!」
もう、絶望的だ。