薫る気配 5





 その電話の後、俺は喫茶店である人物を前に座っていた。
「・・・それで、お話っていうのは。」
目の前の女性に話し掛けた。電話で薫の姉だと名乗った品子という女性。直接話したい事があると言われ、その日の仕事が済んでいた俺は今からでもと約束を取った。嫌な胸騒ぎがしたから・・・。
「・・・・・・その指輪、カルティエですよね。」
いきなり振られたのはこの話題。俺は面食らったし、むっとした。無言で通す。
「弟の指にも同じデザインのものがありましたから・・・。神楽坂さんが薫に下さったんですよね・・・・・・・。」
微笑みながら話していたが、急に詰まったように俯いてしまった。
「・・・・・・・・・弟は・・・薫は・・・・・昨日、亡くなったんです・・・。」
震える声から聞き取った言葉は、にわかには信じられないものだった。



 品子さんに連れられて、薫の家へ向かうタクシーの中で品子さんから語られたのは薫の口から決して聞く事が出来なくなった真実だった。
 薫は病気だった、しかも完治不可能の現代の医療では決して癒せない、いわゆる不治の病といわれるもの。発症したのは1年前。しかし定期的な通院、薬の服用以外に手立てもなく、また変わった様子はなかったのだと言う。
 だが1ヶ月前、体調は急変した。帰宅した姉が自宅で倒れている薫を発見し、そのまま病院で5日間の入院。それにライブの日が含まれていた。はずせない用事、と言っていたのは病院のベッドで眠っていたのだ。もうその時には命の期限は見えていたのだ。余命1、2ヶ月。父はこのまま入院を主張したが、薫は頑として受け入れなかった。どうしてもやりたい事があるから、と。
 その後に薫は姉の自分だけに相談してきたそうだ。好きな人の近くにいたいと。幼い時に亡くなった母親代わりもしてきた自分に持ち掛けられた相談。病院のベッドに横たわったまま必死に話す弟の痩せようが余命宣告を証明しているようで、出来るだけ叶えてやりたいと、あまり我侭を言う事の無かった弟がどうしてもという願いを。治療費の為にとより稼ぎのある単身赴任を勤め、疲れた顔をした父に、薫も本当の事は言えなかったのだろう。相手が誰かは予想がついていたと品子さんは微笑んだ。

 「薫は貴方に夢中でしたから。」
そう告げられた俺は胸を引き絞られる思いだった。必ずメールに記されていた、身体に気を付けて下さいという文字。薫はどんな思いで毎回メールを送ってきてくれていたんだろう。息が苦しい・・・。
 「貴方に告白して、OKをもらったと凄いはしゃぎようでした。本当に幸せそうで・・・。女の子の格好がしたいと言われた時には、私も驚きましたけど。」
あの最後の日が明けて早朝に帰宅してきた薫は指輪を見ながらずっと幸せそうに微笑んでいたと言う。それをからかうと顔を真っ赤にして怒ってました、と。しかし、その日の午後、いきなり昏倒し、意識不明のまま病院へ搬送。意識は回復したが、起き上がれる状態にはなれなった。でも、私は最後の約束は破ってしまいました、と品子さんは言った。

 「貴方には絶対に知らせないでくれ、と最後に・・・。私も考えました。ただの恋人ごっこで終わったのであれば、このままの方がいいだろうと。あの子が迷惑を掛けたくないというのであれば、そのままにしておこうと。でも、入院中、何度も電話して下さっていましたし、私も会ってみたくなったんです、どんな人か。薫が好きになった相手に。」
品子さんはそこで一度、大きく息を吐いた。気持ちを抑えるように。
「貴方の薬指を最初に確認しました。きっと嵌めていて下さるだろうと、祈っていました、信じていました。それに、いくら貴方が売れているといってもあんな高価な指輪、遊び相手に贈るものにしては大げさでしょう?」
女ですから指輪の価値くらい分かります、とちょっといたずらっ子のようにはにかんで笑った顔は薫にそっくりだった。
「もし指輪が見えなければ、私、多分本当の事を告げずに帰ったと思います。・・・ありがとうございます、あの子を愛して下さって・・・・・・。」
最後は涙に詰まった声だったが、確り俺の耳に届いた。

 父は今、通夜の手配に外に出ているので少しの時間だけですが弟に会ってやって下さいと品子さんに言われ、俺は薫の部屋へ案内された。そこには布団に横たわる、まるで眠っているような薫の姿があった。胸の上で組まれている手には俺とお揃いの指輪。傍らに腰を下ろし、薫の顔を見つめる。その頬に触れた。冷たい感触・・・。その温度が嫌でも事実を伝えてくる。でも不思議と涙は出てこなかった。あまりの現実感の無さが神経を麻痺させたかのように。ほんの10日前にキスした唇、抱いた身体、その温もりがまだ残っているのに。


 俺は品子さんに礼を述べ、薫の家を後にした。自分の部屋にどうやって、いつ帰って来たのかもよく分からない。夢と現実の区別がつけられなくなったような感覚。薫がいなくなるという悪い夢の中にいるんじゃないかとさえ思えてしまう。気が付けば日付もとうに変わり、ああ、今日はスタジオ入りだったとぼんやり思い出す。変わらずに訪れた朝。どこも変わっていないじゃないか、きっとあれは幻、悪い夢、のはずだ・・・。眠っているような穏やかな薫の亡骸。触れたら冷たかった。・・・分からない、あれは現実なのか。




 「おはようございます。」
そう告げてスタジオに入った俺をアヤさんがぎょっとした顔で見た後、こっちに来いとスタジオの外へと俺を連れ出した。
「お前、その顔なんだ!?寝てないだろ、いやそれだけじゃない、何かあったな?」
確信を込めた口調でアヤさんが俺に言った。
「・・・・・・薫ちゃんと何かあったのか?」
俺は目を見張った。
「この間の電話の相手、あれ薫ちゃんだろ?お前があんな顔すんの、あの子の前でだけだったから。あんな幸せそうなツラしてりゃ分かる。」
アヤさんは気付いていたんだ。俺よりも早く、俺の気持ちに。薫が好きだという気持ちに。
「何があったんだ。そんな今にも死にそうな顔で仕事なんか出来ないだろうが。」
死という言葉が俺の心を乱す。でも今、薫の名前を口にしてしまったら、返事の戻らない名前を呼んでしまったら、俺はどうなってしまうんだろう・・・。二の腕を掴まれ、顔を上げさせられる。
「何があった、言え。」
俺の腕を掴んで、今までに無い程の真剣さで俺を見据えてくる。

 「・・・・・・・・・・・薫・・は・・・・薫・・・・・・・死んだん・・です・・・・・・。」
「・・・なんだって・・。」
「だから、薫は死んだ。俺は知らなかった、あいつが病気だった事。俺には言ってくれなかった。俺、そんな頼りなかったんですかね。」
まるで台詞を読むように言葉を発した。自嘲気味な言葉には苦笑いまでついてくる。いきなり頬に走った衝撃の後、背中をしたたかスタジオの廊下の壁にぶつけた。アヤさんは俺を殴りつけてから、こう言った。
「あの子が黙ってたのは、どう考えたってお前に心配させたくない、迷惑掛けたくないって思ってたからだろうよ。お前は薫ちゃんの何を見てた?」
品子さんの言葉を思い出す。そして、『知らせないでくれ』という薫の最後の願いも・・・。あいつは俺と一緒にいる間、何を考え、何を思っていたんだろう。幸せだったんだろうか、俺が幸せだったように。笑顔、怒った顔、拗ねた顔、そして泣き顔。今になって、薫との思い出が溢れるように押し寄せてくる。

 「カグラ。お前、今日は帰れ。ちゃんと薫ちゃんの事、考えろ。受け止めてやれ。それで・・・泣いてこい・・・。」
言われて気が付いた。俺は涙を流す事も忘れていたという事に。そのままずるずると廊下に崩おれるように座り込んだ俺をアヤさんは無理やり立たせ、入り口まで引っ張って行った。すぐにタクシーを捕まえ、行き先を告げ、俺をリアシートへと押し込んだ。
「俺から連絡する。スタジオには来なくていい。」
アヤさんは俺を睨み付けて短くそう言い捨てると、きびすを返してスタジオへ戻って行った。



 俺の部屋。薫のいた気配の残る部屋で、俺は今まで生きてきて初めて、声を上げて泣いた。薫を思って、薫の事だけを思って・・・。




 「今度こそ最後。今日来てくれた皆、ありがとう。」
ニューアルバムの発売に合わせて敢行したライブ。次がアンコールでのラストの曲になる。
「アルバムでも最後に入る曲を今日初めて聴かせようと思う。ギターのカグラが初めて作詞も手掛けた曲。」
アヤさんがそう告げると観客から奇声が上がる。そこには薫の姿は無いけれど。
「カグラ、何か一言あるか?」
アヤさんにそう振られたけれど、俺は無言で首を振る。残念そうなファンの子達のざわめきが聞こえてきた。アヤさんは苦笑交じりに皆に謝った。
「ごめんね、ウチのギター、無愛想で。んじゃ、まあ聴いて下さい、最後の曲。」
ギターから始まるこの曲は、俺のタイミングで決まる。マイクに声が拾われない所まで下がって、左手に嵌る指輪に軽く唇を押し当てた。俺は一言呟いた後、ギターを弾き始めた。

 -----------------------愛してるよ、薫・・・。


 この大地に さよならを告げ
 いつか 誰もが空へ還る
 細い身体 儚くて
 この腕をすり抜けて 消えてしまう
 笑顔も泣き顔も 消えてしまう
 でも 出来るだけ 残して逝って
 次に出逢う時 きっと返すから
 一人の街 薫る気配に涙しても
 この腕に 抱き締める もう一度

 俺を呼ぶ声は優し過ぎて
 まるで 奇跡のような響き
 蒼白い肌 切なくて
 頬の冷えた感触 薄れていく
 記憶の何もかも 薄れていく
 でも 出来るだけ 残して逝って
 今度は決して 忘れないから
 独りの部屋 薫る気配に涙しても
 この腕に 抱き締めて 眠ろう

 再会の時 愛していると言わせて
 また きっと お前は泣くんだろう
 その涙も 大切にするよ
 俺のものだから

          『薫る気配』 written by Kagura






王道テーマですが、いかがでしたでしょうか。最近のBLって、どちらかというとライトな雰囲気の作品が 多いですが、管理人の全盛期(プロフ参照…)は重く、シリアスで、結ばれない恋、許されない愛、というテーマが 中心だったな、と思います。
(back ground:『うさぎの青ガラス』様)


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