優しい手、優しい目、それと… 1




 車の中で告白されて、その後行ったレストランで食ったメシの味は、はっきり言って覚えていない。メシの事だけじゃなく、その時の事全てがぼんやりとしている。
 緊張して、ドキドキしてて、それどころじゃなかった。ほとんど俯いていたから、自分の手とかメニューとか料理の見た目とかは記憶にある。あとは、ちらっと顔を上げた時に目に入った学の顔。真っ直ぐに俺を見て、笑ってた。
 学はそのまま俺の家の近くまで送ってくれた。で、帰り際に車の中でまたキスされて、俺は怒って助手席を抜け出した。でもそれは、腹を立てたとかじゃなくて、恥ずかしかったからで…。学はそれを分かってたんだろう。ちらりと1度振り返った時に見た学は運転席から笑って手を振っていた。その余裕にムカついたけど、やっぱり格好いいと思ってしまったのは否定出来ない。

 その日の夜、登録したばかりの学の番号からの着信。逸る気持ちを抑えて、3コール目で出た。
 楽しかった、今日はありがとう、なんて事を言う為に電話してくる所なんかも抜かりない。もっと抜かりないのは最後の一言。

『愛してるよ、透真』

 ムカつく。普通、こんな事さらっと言えるか?取り澄まして言うでも無く、変に格好付けてる風でも無く、自然に言いやがった。まるで、じゃあな、と挨拶するかのような口振りだった。
 電話を切った後、心を落ち着かせるのにどれだけ時間が掛かったと思っていやがる。
 それからも学は忙しい合間をぬって、意外とマメにメールや電話をくれる。そんな風に気に掛けてもらえるのは申し訳無いと思いながらもやっぱり嬉しい。それまではよく家に携帯を忘れたりしてたけど、学とこういう事になってからはそれも無くなった。だって、折角連絡くれてるのに悪いじゃん、なんか…。
 そんな事してる自分が恥ずかしいと思いながらもやめられない。すっかり学のペースだ。
 別にイヤじゃねえけど……。




 学のオフと俺の休みが重なって、2回目のデートは学の買い物に付き合う事になった。俺の家の最寄り駅で待ち合わせになって、待ち合わせの時間少し前、駅の近くのコンビニの前で手持ち無沙汰で学を待つ。雑誌でも読みながら待っていようかと一度コンビニに入ったが、落ち着かなくてすぐに出てきてしまった。
 そこで聞こえてきたのは独特のエンジン音。俺は慌てて携帯を取り出した。ソワソワと待っていた事を悟られたくなくて無意味に画面を見て、弄っている振りをする。
 俺の前で停まった、赤いフェラーリ。やっと気が付いたような素振りで顔を上げた。助手席の方に身を乗り出して、ドアを開ける学の姿が目に入った。
「よお。待ったか?」
こういう事して嫌味じゃない所が余計に嫌味だ。
(恥ずかしい事すんなよ…。)
心の中でそんな事を思いながら、そそくさと乗り込んだ。

 俺でも知ってるような有名ブランド店。普通の学生が気軽に入れる店じゃない。思わず店の前で看板を見上げて、立ち止まる。
「どうした?」
「いや、なんでも…。」
促されて足を踏み入れた途端に感じる、痛い程の視線。学は全く気にならないのか、商品を物色するように悠然と店の中を見渡した。でも直ぐに店員が寄ってきて、囲まれてしまう。
 こういう光景を見て改めて感じる。学はとにかく目立つ。背が高いのも勿論だが、当然それだけじゃない。派手な服を着ている訳じゃないのに、人目を惹く。それで直ぐにバレる。今だってそうだ。さすがに騒ぐ客はいないけど、学の方を盗み見るようにしてヒソヒソと話しているのが分かる。立っているだけ、歩いているだけで物凄く絵になる。モデルという職業柄だろう、無駄な動きが無いというか、姿勢が綺麗だ。思わず見惚れてしまう……。
 その輪の中に入っていく勇気は俺には無くて、遠巻きに学の姿を目の端に捉えながら店内を見回す。どれもこれも高そうで、触れる事さえためらわれる。少し離れた所にショーケースが並んでいるのを見つけた。
 あれなら触れずに眺めていられる。そう思い、そっちに足を向ける。
 (うっわー……。)
ショーケースの中には財布、アクセサリー、時計なんかが並んでいる。そして、どれにも見える場所には値札が付いていない。一体、いくらするんだか…。
(あ…これとかいいな。)
買える訳無いけど見るだけならタダだし、なんて思いながら何とは無しに眺める。
 ベルト部分は黒ニッケル、文字盤も黒い。でもデザインがシンプルなせいか、そこまで厳ついイメージにはならなそうだ。12を示すローマ数字の上には、多分ダイヤ。それの隣に並んでいる宝石だらけでやたらと煌びやかな腕時計に比べたらあまりにも質素だが、きっと俺なんかじゃ手が出せない値段なはずだ。

 「お出ししましょうか?」
近くにいた店員に慇懃に声を掛けられて、慌てて返事をする。
「え、いえ…見てるだけなんで……。」
俺はそそくさとその場を離れた。思わず学の姿を探すと、ばっちりと目が合った。直ぐ側で店員が何やら商品の説明をしているようで一所懸命話しているのに、学はこっちを見て目を細めて笑みをたたえている。
 (そんな顔して、こっち見てんなよ…。)
 目を逸らして、今度は別の商品を見る事にして、当ても無しに店内をうろうろする。店員を避けるようにして、触らないままただ眺めているだけ。
 一度は目を逸らしたけど、ちらちらと学の姿を目で追ってしまう。いつの間にか買う物を決めたらしく、店員にカードを渡している所だった。目ざとく俺の視線に気付いたみたいで、学は俺の方に来た。
「なんかいいもんあったか?」
そう問い掛けられてふと頭に過ぎったのは、さっき見ていた腕時計。でも俺には値段もブランドも分不相応だと分かっているから特に言わなかった。
「いや、別に……。」
「そうか。腹減ったろ?メシ食いに行こう。」
程無くして店員がデカい紙袋を2袋、恭しく運んできた。出口までお送りします、と告げる店員に当然のように歩き出す姿は、こういう店に慣れているのだと一目で分かる。ごく自然にそうしていて、またそうされる事に見合っているのだ。またお越し下さい、お待ちしております、とにこやかに話し掛けてきた店員に学は軽く返事をして二人して店をあとにした。

 再び戻った車の中で、イタリアンでいいか、と訊かれて俺は頷いた。元々好き嫌いもそれ程無いし、パスタやピザは好物と言っていい部類だ。メシの話をしていると自然と腹が減ってくるから不思議だ。
「そういえば、何買ったんだ?」
煙草を銜えた学の姿を目に留めて、俺も自分の煙草を取り出して火を付ける。ついでに運転している学にもライターを差し出してやる。サンキュ、と一言。不意に伸ばされた手は、俺の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「やめろよ。」
俺は窓の外に目を向けた。でもそれは子供にするように頭を撫でられた事が気に喰わない訳でも、ましてや髪をぐちゃぐちゃにされたからでもない。恥ずかしかったからだ。多分、顔は赤い。それを見られたくなくて、顔を逸らしただけ。
 窓の外に向かって煙草の煙を吐き出す事で気持ちを落ち着かせる。深呼吸をするように。窓から入ってくる風にも助けを借りる。早く赤くなった頬を元に戻したくて。こんな事で一々大げさな反応をしてしまう自分が恨めしい。
 「コートジャケットとパンツ。今度の仕事が私服って指定でよ。俺、めんどーでスタイリスト付けてねえんだ。」
「そっか。」
もっと気の利いた返事が出来ないのかよ、俺。自分で話を振っておいて会話が続けられない。
「透真はよく行く店とかあんの?好きなブランドとか。」
学が何気なしに話を切り返してくれた。
「特に…無いけど。いつもてきとーだし。」
そんな事を言いつつも、今日はこれでも気にして服を選んだ方だ。隣に立つのはモデル。気を遣わないはずが無い。1時間近く悩んで決めた割には、大していつもと変わらないものになってしまったけど。
 ダメージ入りのブラックデニムに白いTシャツ、その上に紫ベースのチェックのシャツ。靴は赤茶っぽいエンジニアブーツを合わせた。ラフ過ぎるかとも思ったけど、気張った所でボロが出るだろう。
「でもお前、センス良いよ。靴にその色もってきて正解。すげーいい。」
「………。」
どう答えていいものやら困ってしまう。有難うと言うべき所だろう、何せ褒めてくれているのはトップモデルだ。
「褒めてんだから、ちょっとは嬉しそうな顔しろよ。」
別に怒った風でもなく、苦笑しながらそんな事を言った学の目は優しかった。