たかがチョコ、されどチョコ1




 冬休みが終わって学校が始まってからずっと寒い日が続いていたけど、今日は日差しがあって風も無いからぽかぽかと暖かい。いわゆる小春日和ってやつだ。昼休み、秀ちゃんと一緒に窓際の俺の席で日向ぼっこをしながらお昼ご飯。
 何だか秀ちゃんの様子がおかしい。いつもなら昨日見たお笑い番組の話やら、バイト先のコンビニに来た変な客の話やら、面白おかしく話してくるのに、おにぎりを黙々と頬張りつつ、あちこちに視線を走らせている。
 おにぎり三つをぺろりと平らげてペットボトルのスポーツドリンクで流し込むと、やけに改まった表情をして俺を見つめてきた。
「どうしたの?」
紙パックのコーヒー牛乳のストローを咥えたまま、首を傾げて尋ねてみた。にへらと一旦は鼻の下を伸ばしたものの、秀ちゃんは慌てた感じで真顔に戻った。秀ちゃんは見ているだけでも本当に飽きない。
「あのさ……お願いがあるんだけど…。」
声を潜めるように、俺の方に身を乗り出してきた。
「ん?」
何だろう。こんな風に秀ちゃんがお願い事をしてくるなんて、珍しい。秀ちゃんが切り出すまで、俺は黙って見つめ返す。
「もうすぐ、さ、ほら…あの……。」
意味のない言葉を並べて、俺から視線を逸らす。その頬はちょっと赤くなっている。意を決したように俺と目を合わせて言い放ったのは…
「チョコが欲しい。」
何を訴えられるのかと思ったら、そんな事で俺は思わず吹き出してしまった。そうか、あと一カ月位でバレンタインだ。
「……ぷはっ…秀ちゃん、そんな事……くくっ」
わざわざお願いしてくる辺りが秀ちゃんらしい。自分に正直で隠しごとなんて出来ない。クールに格好良く余裕で待ってるなんて芸当、到底出来っこない。いつまでも笑っている俺を見て、あからさまにがっかりした様子を見せながらも、合わせるように乾いた笑い声を上げる。
「あはは……ちょっと言ってみただけだし、ハハハッ…」
「いいよ。」
「いや、気にしてないか、ら………へ?マジ?」
話を流して無かった事にしようとしたのか、大げさに俺の目の前でぶんぶんと振っていた手がぴたりと止まり、更に前のめりで俺に聞き返す表情はちょっと間抜けだ。そんな所も好きなんだけど。
「うん、せっかくだから作ってあげよっか?」
にっこり笑ってそう答えると、
「マジでっ!?あっ!じゃあさ、俺も、俺も用意するから!あ、でも俺は作れないから、美味そうなのあったらそれにする!!」
早口でまくし立てて、秀ちゃんはそれはそれは嬉しそうに破顔する。
「すっげー楽しみ。ちょー嬉しい。」
そこからはいつもよりテンションの高い秀ちゃんのおしゃべりに付き合わされた。
 それでも、ここまで喜ばれれば悪い気はしない。好きな人が笑ってる姿はとにかく幸せな気分になる。

 その時は特に考えも無しに口にした事がどうなるかなんて、俺も分かっていなかったんだ。



 顔のニヤけが止まらない。
 いつもなら何となく口にするだけの「いらっしゃいませ」という言葉にもウキウキした気分が乗っかって、ワントーン高くなる。
 今はバイト先で品出しの真っ最中。結構な頻度で一緒のシフトになる有栖川さんとバレンタイン用のコーナーの設置を頼まれて、二人で作業をしている所だ。
 一旦今ある商品を撤去して、空いた棚を丁寧に拭いてから、きらびやかなパッケージのチョコ達を並べていく。ここに並べられるのは比較的手に取りやすい安めのチョコだ。今回は予約生産の、某有名パティシエとのコラボチョコ、なんてものもある。そのポップを飾り付けながら、やっぱりこのくらい奮発したいよな、とか一人心の中で思ってニヤニヤしてしまう。
 下の段の価格ポップを黙々と付けている有栖川さんの姿を見て、ある人物を思い出した。
 以前、一度だけ見た事がある、背の高い、超絶なイケメン。フェラーリを颯爽と乗りこなし、またそれが半端なく似合ってしまう、有名モデルだという有栖川さんの恋人。日本人にしては彫りの深い顔立ちだが、それが真っ黒な髪と相まってミステリアスな雰囲気で、男の俺でも街で擦れ違ったら絶対に振り向いてしまう程の存在感がある人だ。

 「そういえば、どうすんですか?」
ふと思った疑問を口にしてみた。
「…え?……何を?」
俺の問い掛けに有栖川さんは手を止めて、俺を見上げる。
 本人は自覚が無いみたいだけど、有栖川さんもかなりのイケメンだ。
 アッシュがかった髪色のちょっと長めの前髪から覗く、少し吊り気味の目元は涼やかで、クールな印象を受ける。俺よりも少し高い身長は、多分170センチ後半。すらりと伸びた腕と脚が更にその印象を強いものにして、どことなく近寄りがたい雰囲気を醸し出す。一見、冷たそうに見えるけど、実は面倒見が良い方だと俺は思う。雑用をあとのシフトの人間に丸投げする、なんて人もいるけど有栖川さんはそんな事は絶対にしないし、手が空けば率先して手伝ってくれる。俺がバイトを始めたばっかりの時にも散々お世話になった。口数の多い方じゃないけど、さり気なく助けてくれるのだ。頼りになる先輩として、俺は有栖川さんとシフトがかぶるのを勝手に楽しみにしている。
「何をって、決まってるじゃないすか。これですよ、これ。」
俺は品出し中だった、赤いパッケージのチョコを目の前に掲げ、高らかに宣言する。
「バレンタインとえいば、恋人同士の一大イベントじゃないっスか!!」
有栖川さんはそんな俺を見て、「だからどうした」と言いたげな表情で俺を見上げたままだ。
「律に欲しいって言ったら、じゃあ作ってあげるね、とか言ってくれちゃって。それじゃ俺もあげようかな、なんて。」
ここぞとばかりに自慢してみた。ノロケがてらに探りを入れている所もある。有栖川さんとあのイケメンモデルがどんな付き合いをしているのか、ぶっちゃけ気になる。俺と同じように男同士って事もあるけど、有栖川さんが全然話してくれない所も余計に好奇心をくすぐられる。だって、二人で並んで歩いてるだけで、きっと注目の的だと思う。
「……俺には関係ねぇよ。」
ぼそりと興味無さそうに再び作業に戻ってしまう。
「ええっ!欲しいとか言われないんすか!あのイケメン彼氏に!!」
「バカっ!んな事、デカい声で言うな!」
俺は脚を小突かれて、我に返る。すみません、と謝ってから声のトーンを落として続ける。
「でも、余裕っすね、有栖川さんも。律から聞いたんですけど、すっげー有名なモデルなんですよね?きっと山のように貰うんじゃないですか?羨ましいっすよねえ。」
チョコの一個や二個で大騒ぎする必要なんか無いんだろう。大人の付き合いってやつなんだな、うん。
 そうだな、と言ったきり、黙々と値札ポップをつけていく有栖川さんに俺も慌てて商品の陳列を整え、全体のバランスをチェックする。
 ちゃっかり、予約フォームがついているパティシエ監修のチョコのパンフを一枚、失敬したけども。