たかがチョコ、されどチョコ2




 バレンタイン前夜。俺は意気揚々とキッチンにいた。用意したのは近所のスーパーで買ってきたブロックチョコとトッピングに使うアーモンドクラッシュ。ブッロクチョコのパッケージに手作りチョコレートの作り方、みたいなものがあったから、その通りにやればいいんだと特に気にもしなかった。だって、チョコを溶かしてまた固めればいいだけじゃん。
「えっと、まずは……。」
作り方その1に目を走らせる。チョコを細かく刻む。大きい塊を取り出して、包丁で切る……う、硬い…。体重を乗せると、がこっ、と音がして切れたというより割れたという感じだ。細かく、ってどの位なんだろう?これはかなり重労働だ。包丁も使い慣れている訳じゃないから、指を切りそうになりながらも何とか少しずつ小さくしていく。
「で、次は『50℃程度の湯煎で溶かす』……湯煎??」
やっとの事で刻んだチョコを目の前にして、今度は分からない言葉の登場。スマホで『湯煎』を調べてみる。要はお湯を張った器の中に一回り小さい容器を入れて、その熱で溶かせ、って事だ。
 キッチンの棚を漁って画像で見たような器を探しだし、大きい方にポットから湯を注いだ。ん?50℃ってどうやって計ればいいんだ?化学の実験じゃないんだから、料理をするのに温度計が必要だなんて思いもよらなかった。
 結局、てきとうに水を足して、少し温くしてみる事にする。小さい器に刻んだチョコをざらざらと入れて、お湯を張った方に浮かべてみた。何かヘラみたいなもので混ぜている画を見たけど、そんなものも見つけられず、大きめのスプーンで代用してチョコをかき回してみた。
 するとゆっくりとチョコは溶けていき、とろとろになる。ツヤツヤしたチョコは甘い香りをより漂わせる。何だか上手くいきそうな気がしてきた。鼻歌交じりに次の工程に目をやると、『アルミホイルで型を作り、溶かしたチョコを流し込む』とある。ここは一つ、ハート型にでもしてみよう、なんて。
「う〜ん…。」
俺はうなりながら、アルミホイルに悪戦苦闘する。やっとの事で不格好なハート型を作り上げ、そこに溶かしたチョコを流し込もうとした………んだけど、
「あれ?」
容器を傾けてもチョコは流れていかない。俺がアルミホイルと格闘している間に冷めて固まってしまったらしい。
「なんだよ、これ!やり直し?!」
一つ大きな溜め息をついて、俺はもう一度残ったブロックチョコに手を伸ばした。


 チャイムが鳴り、先生が教室に入って行くのを見て、俺は後ろのドアからそそくさと自分の席まで直行する。先に来ているはずの秀ちゃんの方は見なかった、というか見られなかった。
 昨日はほとんど寝られなかった。結局あのあともう一度失敗して、不格好なハート形のチョコを何とか作り上げた。自分が想像していたよりもチョコを作るという作業はずっと難しく、とても自慢出来ない物体が出来上がってしまった。どうして早めに準備をして、試作をする位のことをしなかったのかと、今更ながらに悔やまれる。先生の授業の言葉も全然耳に入ってこないで、こんな出来損ないのチョコでも渡した方がいいのか、それとも今日は渡さずに、ちゃんとしたものが作れるようになってから改めてあげた方がいいのか、そんなことばっかり考えていた。

 昼休みになるとクラスの女子達は友チョコを交換しながら盛り上がっていた。俺はちらちらと秀ちゃんの様子を窺う。今日はやきそばパンとコロッケパンを既にたいらげ、最後のメロンパンを頬張っている。いつもなら秀ちゃんと二人きりで居たくて追い払うヤツらに声を掛け、一緒にご飯を食べている所だ。まだどうするのが一番いいのか、答えは出ていなくて、二人きりになる状況を避けたい気持ちが働いたからだ。
「そういえばさ、誰かもらったヤツいるか?」
騒がしい女子を横目に一緒に昼飯を食べていた西が口を開いた。
「もらえねえから、男ばっかでメシ食ってんだろうがよ。望みありそうなヤツいるのか?」
笹原がふてくされた口調で皆に話を振った。その言葉にぴくりと反応をした秀ちゃんの姿が目に入る。
 何か風向きがあやしい、気がする。ここでいきなり「律から貰えるぞ、俺は!」とか言い出すような事、秀ちゃんならやりかねない。別に付き合ってる事とか、俺が秀ちゃんを好きな事とか、そういうのをバラされるのはかまわない。とういうか、言ってはいないが暗黙の了解となっているんじゃないかと勝手に思ってる。俺も別に隠してないし、秀ちゃんもその辺は気にしていないはずだ。
 それよりも、ここで調子に乗った周りのやつらが「見せろ」なんて言い出したら、あのとんでもなく出来の悪いチョコを披露しなきゃいけなくなるのが嫌なのだ。笑い飛ばされるのも腹が立つし、シラけられても微妙な空気になる事は必至だ。秀ちゃんにだって本当にこんなものを渡していいのやら、想像しただけで気が重いというのに。

「実は…。」
「西はバスケ部だろ?女子マネいるじゃん、可能性無いの?」
秀ちゃんが口を開きかけたのをあからさまに遮って横に座っていた西に話の矛先を向けた。
「あー、ないない。木元は部長狙いだもんよ。かわいいけどな、確かに。部員全員にチョコ渡して部長のだけ特別いいもんやる、ってのはあり得るかも。」
「それでも何ももらえないやつよりマシじゃんか。」
「そうだそうだ、贅沢言うな!」
「俺なんか家族からすらねえんだぞ。姉ちゃんからもらったりなんかしたら、あとが怖えよ。お返し、とか言って何要求されんだか。」
話は段々と逸れていき、笹原の姉ちゃんがいかに怖いか、という話題で盛り上がり始める。秀ちゃんは完全にタイミングを逃して、口を挟むのをあきらめたようだ。
 ちらりと目の前に座っている秀ちゃんを窺うとじっとりと訝しそうな目つきで俺を見ている。不審の籠った眼差しで見つめられると、ちくりと胸が痛んだ。何だか、すごく悪い事をしている気分になる。いつもなら楽しくて、くだらない話であっという間の昼休みがとんでもなく長く感じた。
 「あのさ、俺、忘れちゃってたんだよね。」
なるべく軽い口調で言ったけど、秀ちゃんの目は見られなかった。
 放課後、秀ちゃんが部活を終えるまでまんじりともせず佇んでいた。いつもこうやって秀ちゃんを待って一緒に帰るから、まるで避けるようにして帰る事は出来なかった。その間に色々と考えが巡った。
 このまま知らんぷりを決め込もう。いや、いくらなんでもそれは誤魔化し切れない。あの気合いの入れようを見れば、秀ちゃんが俺とした約束を忘れているはずがない事位、直ぐに分かる。俺から話を切り出さなくても、秀ちゃんから絶対にチョコをねだられるだろう。
 先に謝って、このチョコを渡すべきか?でもそれは俺としては許されない。あんなものを渡すのは恥ずかしい。今までに秀ちゃんが貰ったかもしれない手作りチョコと比べられたら嫌だ。どうやったって、俺の方が劣ってるに違いない。
 散々悩んで、ぐるぐるして、出した結論は「作るの忘れちゃったから、また今度ね」という言い訳だった。

 「………何だよ…それ…。」
今までに聞いた事のない低い声に思わず顔を上げた。俺を睨み付けている秀ちゃんと目が合う。
「いや、あのね……」
想像していたよりも強い秀ちゃんの反応に、俺は慌てて真実を口にしようとしたけど、
「俺、すっげー楽しみにしてたのに、律にとっては忘れちゃうようなことだったんだな。」
「秀ちゃん、違……」
「もういい。」
秀ちゃんは背を向け、校門へ向けて歩き出した。かなりの早足。俺よりコンパスの長い秀ちゃんを小走りに追いかける。


 そんなに怒らなくたっていいじゃないか。
 俺は秀ちゃんの少し後を歩きながら段々とそんな気持ちがわき起こってくる。好きな人に贈る、というよりも友達同士でチョコを交換する行事、みたいな事になっているバレンタインでここまで怒られるのが何だかしゃくに障る。秀ちゃんが勝手に盛り上がってただけ、というのもちょっとはあるんじゃないか。
 ……分かってるんだ。こんなのは全部言い訳。俺は自分が思い描いていたのと違う展開に納得いかないだけ。それこそ既製品かと思わせるような、見た目にも美味しそうなすばらしいチョコを作り上げ、満面の笑みで得意げに手渡す…はずだったのに。理想と現実の差はあまりにも大きかった。
 そう、これは俺の身勝手な思いなだけなんだ。
 夕暮れがせまる、駅までの道のり。うつむき加減で秀ちゃんの気配だけを追って、必死についていく。そのせいで前を歩いていた秀ちゃんがいきなり足を止めた事に気付くのが遅れて、つんのめるように秀ちゃんの背中にぶつかってしまった。
「俺、マジでほんとにすっげー楽しみにしてたんだからな。」
くるりと振り向きざま、秀ちゃんは言い放った。暗くなってきているが、まだ街灯はついていない。その暗がりの中でも秀ちゃんの怒っている顔はちゃんと見えた。
「まあ、律にとっちゃ、忘れちゃうようなことだったみたいだけど。」
嫌味をたっぷり込めたような口調。秀ちゃんがこんな言い方をするのは珍しい。
 忘れるはずない。むしろ忘れてたら、秀ちゃんに怒られても素直に謝って許してもらう努力をする。そうじゃないから責められて、お門違いと分かっていながら何だか腹が立つのだ。俺の気持ちも知らないくせに、と詰ってやりたくなる。
「今日までずっと楽しみに……。」
「分かってるよっ、そんなのっ!!」
同じ言葉を繰り返そうとする秀ちゃんの言葉を遮って、俺はとうとう叫んでしまった。引っ込みがつかず、乱暴にカバンの中からお世辞にもきれいとは言えない、簡素なラッピングの包みを取り出して、秀ちゃんに向かって投げつけた。
「これでいいんだろっ!」
俺の投げつけたチョコをキャッチして、びっくりした顔のまま秀ちゃんは固まった。

   サイアクだ。こんなはずじゃなかった。
 何でか悔しくて涙がにじんできた。俺は突っ立っている秀ちゃんの脇をすり抜けようとした。
「待って!!!」
引きとめる大きな声と共にがしりと二の腕を掴まれて、俺は焦って振りほどこうともがいた。そうしたらもっと強く引き寄せられて、大きくバランスを崩す。
 気が付けば、俺の体はすっぽりと秀ちゃんの腕に包まれていた。
顔を見なくたって分かる。秀ちゃんは笑ってる。それはもうきっと、すっごい笑顔だ。
「律。」
優しい声で名前を呼ばれて、余計に泣けてくる。
「な、これ開けていい?」
秀ちゃんの肩に顔を埋めたまま、こくりと頷く。
 今なら分かる。俺がどんなブサイクなチョコを作ってこようが、秀ちゃんならきっと喜んでくれる。
 抱き締められたまま、背中の所でゴソゴソと音がするのを聞く。
「うわ、ハート型とかめっちゃラブ感じちゃうんだけど。」
嬉しそうに呟いたあと、パキリと耳元で音がする。すると、ふわりと甘い香りが漂った。
「ん〜、うまい!」
満足気に言うと、ぎゅっと抱きしめてくる。
「ありがと。それから、怒鳴ってごめん…。」
こんな風に素直に言葉に出せる秀ちゃんは、やっぱり格好いい。
 秀ちゃんが好きだ。優しくて、真っ直ぐで、それを正直にぶつけてくれる。嘘がないから、全部信じられる。俺は秀ちゃんにしがみついた。俺は素直になれないから、秀ちゃんのコートをぎゅっと握りしめて、心の中でごめん、と何度も繰り返す。
「……うん。」
結局、ごめん、は言葉にならなくて、頷いただけで済ませてしまった。秀ちゃんは分かってくれる、って勝手に思ってる。それに甘えちゃいけないのかも知れないけど、今はこんな俺でも許してもらおう。  秀ちゃんは一度、強く俺を抱き締めてから、
「よし、帰るか!」
と明るく宣言した。引きずらないのも秀ちゃんのいい所だ。食べかけたチョコを大事そうにしまうと、俺の手を取り、駅までの道を歩き出した。


 当然のように俺を家まで送り届けられて、と言っても、歩いて3分のご近所さんなのだけど。別れ際に秀ちゃんから渡されたチョコは、それは立派なものだった。でも秀ちゃんはこう付けくわえたんだ。
「律からは手作りで、俺は手抜きみたいで悪いよな。」
申し訳なさそうな秀ちゃんの顔がおかしくて、俺は思わず笑ってしまった。


   お人よしで俺にはとことん甘い。多分、もらったチョコよりずっと甘いんだ。




 今頃になってやっと完結(苦笑)。いつもと違って、ちょっと悩んでしまう律を書きたくて、こんなお話にしてみました。
(back ground:『NEO HIMEISM』様)


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