始まりは突然で 1




 「ねえ、いいバイトあるんだけど。」
話し掛けてきたのは百地だ。入学してすぐに懐いてきた、というか俺に何やかやと世話を焼いてきた平山の彼女。百地はいわゆる美人だ。黙って立っているだけでも人目を惹く。更にいつもどが付く程の派手な格好をしている。一体どこで買うんだ、と思うようなものを身に着けていて、またそれに違和感が無い。それが更に大学内でも浮きまくっていて、こいつの事を知らない学生の方が珍しいという程有名なやつだ。しかもこんなナリのくせに頭が良い。学部トップだ、なんて噂もある位に。本人はそういう事を鼻に掛けるような性格ではないが、「頭の悪い男は興味が無い」と公言するような人間だ。サバサバしていて、まあ俺から言わせれば可愛げが無い。そんじょそこらの男より男らしいとか、俺は思ってしまうのだが、平山は彼女に一目惚れをし、性格も知った上で更に好きになったとしつこくアタックを掛けていたらしく、いつの間にやらくっついていた。
 今日もまた、何と言うのかゴスロリ系?だっけか、そんな格好をしている。大きく広がったスカートが邪魔じゃないのか、俺には不思議でならない。通り掛る学生も百地の事を振り返って見ている。本人はそんな事には慣れているのか、全く気にならないようだ。平山は彼女の隣で煙草をふかしていて、それが当たり前の事のようにスルーしている。
「免許取るのにお金貯めてるんでしょ?平(ひら)ちゃんから聞いたわよ。」
「でもコンビニのバイトだけじゃなかなか、なんて事言ってたじゃん、お前。」
平山も重ねるように言ってきた。確かにそんな事をグチったような記憶はあった。

 「そうだけど…。いいバイトって?」
俺は簡潔に問い返した。
「日給10万。といっても拘束時間はまあ4時間位かな。どう?」
まるで俺を試すかのように口端に笑みを浮かべて俺の顔を覗き込む。こういう高飛車な顔も美人がすると様になっていて、怒る気にもならない。
「お前それ…危ない仕事じゃないのかよ…。」
あまりに法外なバイト代に訝しく思い、溜息と共に言葉を吐いた。アホらしい。少しでも期待をした俺が馬鹿だった。
「雑誌のモデル。私の紹介だから、安全は保障するわよ。創刊したばっかりであんまりメジャーな雑誌じゃないけど、普通のメンズファッション誌。素人モデル探してるって言う話なの。」
「……遠慮しとく…。」
確かにそれなら納得はいく。百地は雑誌のモデルをやった事があるという話をしていたのを聞いた覚えがあったからだ。でも俺がそんなもの出来る訳が無いし、自分で言うのも何だが、容姿は人に誇れる程の事も無し、背が多少標準より高い位なもんだ。しかも素人モデルといえども、オーディションみたいなものがあるんじゃないのか?それに選ばれる自信なんてものも、そもそもモデルになりたい訳でも無い。バイト感覚で出来るようなものでは無いと俺は判断した。
「どうして?まさか容姿に自信が無いとか言うんじゃないでしょうね?この私が言うのよ。変なの紹介する訳ないじゃない。私の目が疑われるわ。」
心外だという顔をして百地は言った。
「お前、自分の彼氏はどうなんだよ?平山に言えばいいじゃねえか。」
「平ちゃんはむいてないもの。」
即答した百地の横でがっくりと肩を落とす平山の情けない姿が目に入る。
「おいおい…。」
「今回のは、相手もいるし。平ちゃんはね、私のものだからダメなの。」
するりと平山の腕に手を回しながら百地は言った。それだけで平山はすぐに機嫌が直ったらしく、ニコニコと彼女の顔を見ている。単純なヤツだが、この立ち直りの早さは少し羨ましくもある。
「というよりね、あてがあるって言ってあるのよ、先方に。だから引き受けなさい。」
「そうだぞ、由里ちゃんの誘いを断るなんて事しない方が身の為だ。」
はい、これ住所、と小さなメモ紙を俺に押し付けられてしまった。




 結局、百地に押し切られる形でモデルのバイトを引き受ける事になってしまった。
 訪れたのは都心に程近い雑居ビルだ。とにかくそのまま行けばいい、という事だったから普段通りの格好で髪も洗いざらしのままだ。目当てのビルの3Fまでエレベーターで上がっていくと、すりガラスの嵌った素っ気の無いドアが見えた。その脇の小さなプレートに『Photo Studio A-style』と書かれている。
 ここだ。俺は今更ながらに少し緊張する。1日で10万、即日現金払いに魅力を少しでも感じて流されてしまった自分が恨めしい。でももうここまできて断る事も出来ないし、百地の紹介を無碍にするのもあとが怖い。

 意を決してドアを開け、声を掛けた。パーテーションの裏からすぐに返事が返ってきて、小柄な女性が現れた。
「ああ、由里ちゃんのお友達って君ね。」
ニコニコと俺の近くに寄ってきて、まじまじと俺の顔を見上げている。値踏みするような嫌な感じのする視線では決して無かったが、こんなに見つめられるのは気後れする。俺は次の句を発しかねていた。
「さっすが由里ちゃん、分かってるわ。こちらへどうぞ。あ、私ヘアメイクの松ノ木っていうの、よろしくね。」
腕を掴まれ、半ば強引に引っ張られていった。俺の口を挟む余地も無かった。
「ご到着よ〜。由里ちゃんの紹介の……。」
いわゆる楽屋風になっている部屋へ連れて行かれると、そこにも何人かスタッフらしき人がいた。一斉に皆がこちらに注目している。居た堪れない気持ちのまま、とりあえず自己紹介をしなければと思い、軽く頭を下げ、挨拶をする。
「どうも。有栖川透真です…。」


 すぐ準備に入るから、と鏡の前に座らされ、ケープを掛けられた。何だかよく分からないものを顔に塗られ、髪をセットされた。今度は古着っぽい服に身を包んだドレッドヘアの女性に服を渡され、着替えるように促される。少しダメージの入ったジーンズ。多分高いものなんだろう。Tシャツは体にフィットするような小さ目のもの。丈も短くベルトのバックルが見える位で、アイボリーの地にネイビーの切り替えが入っている。よく分からないロゴとマークがはいっていて、これもダメージ加工されている。靴はマホガニーの艶消しされたような、わざと汚れを入れたようなそんな革靴だった。

 ちょっと安心する。いつもとそこまでかけ離れた格好でも無い。まあ、値のはるものを身につける、という点では大分違うのだけれど。
 着替え終わってカーテンを開けると、先程のドレッドヘアの女性が全身をチェックするように俺を見る。
「よし、OK。サイズもぴったりね。」
松っちゃん、来て来て、とヘアメイクの人を呼ぶ。二人して俺の頭の先から爪先まで眺めて、
「由里ちゃんに感謝だわ、これ。」
「うん、いい男。完璧。」
「……どうも。」
ここまで来て、俺はもう腹を括った。もう逃げられる訳がないし、若干どうにでもなれという投げやりな気持ちにもなっていた事も確かだ。



 ガクさん到着しました、という声が隣の部屋から聞こえ、部屋の中が一気にざわざわと動き出した。そういえば、相手がいるって話だったと思い出す。プロのモデル。一体、どんな人間なんだろう。俺の勝手なイメージでは高飛車で、きっと俺みたいな素人のことなんか馬鹿にして、見下してきそうだ、とか思う。ナルシストの嫌なやつ、位なもんだ。
「今日のお相手、着いたわね。学ちゃんと君のツーショット、早く見たい〜。」
「ほら、行こっ!」
女性二人に挟まれて、連行される気分だ。廊下を抜けて、また別の部屋まで連れていかれた。

 中は真っ白。真ん中にぽつんと大きなブロンズ色した革張りのソファ。カメラマンだと思われる長髪の男性がカメラを覗き、アシスタントらしき人間に指示を出している。
 その部屋の隅。パイプ椅子に座っている人間の前で髪の長い女性が最後の確認をしているようだった。その女性の背で遮られていた人物の姿が見えた。