建前だけでは生きられない 1




 俺の人生、まさかこんな事になるとは思いもよらなかったんだ。




 「竜成さん、朝だよ。メシの用意、出来てるから。」
爽やかに声を掛けられ、目が覚めたもののベッドから出る気にはなれなかった。生返事で答えてごそごそと寝返りを打つ。
「仕事遅刻しちゃうよ。ほーら、起きて!」
無理矢理布団を剥がされて、俺は慌てて起き上がった。というのも昨夜、ことに及んだあと、素っ裸のまま寝ていた訳で、さすがに日の光の下で堂々と全裸を晒すのは恥ずかしかったからで。下半身だけでもとわたわた布団をたぐり寄せれば、ベッドに腰を掛けた彼はニコニコと俺を見ている。
「おはよ。目が覚めた?」
「……はよ…。」
頬が熱い。
「いつまでもそんな格好でいると襲っちゃうよ?」
「わ、分かった!起きるからっ!!」



「社長、今よろしいですか?」
「ああ。構わないよ。」
「先日のクライアントからの提案ですが、書類にまとめておきました。目を通して頂けますか?」
「有難う。丁度これからこの件で会議があるんだ。助かるよ。」
笑顔で部下から資料を受け取り、俺は会議室へと足を向けた。
 俺は自分で会社を経営している。世に言う所の青年実業家、というものだ。今は従業員100名近くの規模になっていて、それなりに儲かってもいる。イベントを企画し、そのプランを提示し、実行する、いわゆるイベントオーガナイズの仕事だ。今は海外旅行者ツアーのイベント等も手掛け、数名の外国人も雇っている。英語だけは何とかこなせているので、そういった面ではコミュニケーションも良好だ。
 まわりの評価は『デキる男』。
 35歳にして経営者としてそれなりに成功し、まあまあ見栄えも良い。常に笑顔を絶やさず、愛想良く振舞っている。そのおかげか、取引先にもウケが良く、更に女性ウケも良かったりする。
 でもそれはあくまで社会に出て、という顔。



 お決まりのコースのコンビニ。帰宅前に寄っては明日の朝ご飯の足しになりそうなものや煙草を買ったりするのだ。
 会社が軌道に乗り始めてから、以前より会社に近いマンションへ引っ越した。電車で三駅。何か起きてもタクシーで事足りる立地と、そこまで広さは無いが角部屋という所が気に入った。しかも築二年でまだ新しい割に手頃な値段だったのが決め手となった。駅から徒歩5分。男のやもめ暮らしには持ってこいだった。

 「いらっしゃいませ。」
駅前のコンビニに入ると明るい挨拶が聞こえてきた。都会のコンビニでは珍しい程に愛想が良い。ちらりと顔を上げると見覚えのある青年がカウンターの向こうでニコニコしていた。
 ほぼ毎日、帰り際に寄るここに彼はかなりの頻度で居る。彼以外の店員を認識していないからかも知れないが、彼の顔と声は覚えてしまった。名札で見た「つかはら」という名前だけしか知らないが、いつ来ても彼の笑顔は印象的だった。
 彼の姿を横目に弁当やデザートが並んでいるコーナーへ行き、俺はいつものように明日の朝食用のサラダとサンドウィッチを手に取り、レジに向かう。
「いらっしゃいませ、お預かり致します。」
「これと、あと32番の煙草、お願いします。」
「はい、かしこまりました。」
 レジでの応対もとても愛想が良い。思わずレジを挟んで彼を観察してしまう。
 実際の歳は分からないが、俺より10近くは年下のように見える。なかなかに整った顔立ちで、最近の若い子には珍しく弄った形跡の無い真っ直ぐな黒髪。その割にはお堅く、暗い雰囲気はない。笑うと目が細くなり、目尻が下がる。その愛嬌のある笑顔と、低めだがよく通るはきはきとした声は実直な勤労青年、といった所だ。「学費を自分で稼ぐ為に頑張ってバイトをしてます」、と言われても嫌味に感じない。彼のその人柄すら透けて見えるような笑顔は、俺のみたいに上辺だけのものでは無いのだろう。
「お会計892円になります。」
まじまじと彼を見ていた俺は、値段を言われて我に返った。あたふたと財布から千円札を取り出し、カウンターへ置く。
「千円お預かりで108円のお返しです。」
そんな俺の様子にかまわず、彼はやはりニコニコとお釣りを差し出した。彼の手からそれを受け取り、財布にしまうと絶妙のタイミングでコンビニ袋を差し出される。ちゃんと持ち易いように持ち手が軽く絡められていた。それを受け取ってから、俺はいつものように外面用の笑顔を浮かべ、「どうも」と一言。
「ありがとうございます。」
彼の滑舌の良い挨拶を背に、俺はコンビニを後にした。

 3分程歩いて、マンションに辿り着く。一歩足を踏み入れれば玄関には乱雑に靴が並んでいる。いや、並んでいるとは到底言えない。放り出してあると言った方が正しいだろう。ソファには洗濯を待っているYシャツが何枚か放置され、昨日締めたネクタイが垂れ下がっている。キッチンには使いっぱなしのカップやらスプーンやらが散乱したまま。決して綺麗とは言い難い部屋だ。
 こんな俺の生活を見たら、大概の人間は驚くだろう。社長という肩書きのもと、俺はこういうずぼらで面倒臭がりな所を社員の前では決して出さないように心掛けている。出社の際の身だしなみには細心の注意を払っているし、会社のデスクは几帳面なまでにきちんと整理整頓されている。特に身だしなみについてはクライアントへの、そして自分の社員達への印象を上げるには大事な要素だと思っている。それというのも俺が今まで生きてきた上での処世術がこれだったのだ。笑顔と愛想、これだけで乗り切ってきたと言っても過言では無い。もう癖のようなもんだ。
 でもそれに疲れてしまうのか、一人でいる時はぼんやりと過ごしてしまう。スイッチが切れたようにだらだらと時間を浪費する。このせいで彼女と長続きしない事も自覚している。  どうも俺からはこういう部分は想像されないらしい。スマートに女性をエスコートし、お洒落なレストランで乾杯、記念日には薔薇の花束をプレゼント、なんてイメージを持たれているようで。俺のだらけた姿に幻滅して、そそくさと逃げていくのを何度か経験し、頑張ろうと思った事もあった。しかしながら、頑張る程に気の休まる暇も無くなり、余裕が無くなり、結局のところ長続きしないというのを身に沁みて分かったのは三十路を目前にした時期だった。
 それ以来、特定の相手を作らず、告白されても曖昧にかわして今現在、絶賛独り身中という訳だ。格好よく言えば、独身貴族を満喫している。

 スーツだけは確りとハンガーに掛け、部屋着のスウェットに着替え、冷凍のチャーハンを電子レンジにかける。その間にシンクにあった洗い物を片付け、カップをそのまま使う事にする。冷蔵庫のお茶をカップに注ぎ、仕上がったチャーハンの皿と一緒にテレビの前に陣取った。
「はあ……」
大きな溜息と共にソファにどかっと腰を下ろした。テレビを横目にチャーハンを頬張ってはお茶で流し込む。
 一人でいると落ち着く。気持ちが安らぐ。どんなにだらしなくしていようが、誰からも咎められず、気にしなくて済むから。
 俺のイメージはとうの昔に一人歩きを始め、何でもソツなくスマートにこなす人間、という枠に自分からはまっていく。というより、もうそのイメージを壊すのが怖いのだ。今更この歳になって、キャラ変更も無いだろう。予定調和の中で済めば万々歳、というものだ。