姓名判断 Novel


百花繚乱 〜石蕗の決意、西洋躑躅の夜〜 1




 先日の怪我で一週間程休みを頂いて、再び西園寺家へと出向いた。かなり高い所から落ちたのだけれど、幸い打撲と掠り傷程度で済んだのだ。家で静養していた時も、高橋さんがお見舞いと言って、高価な果物の差し入れをしてくれたりした。申し訳無い事に、治療費まで出して下さったそうだ。俺なんかの為にそこまでしてもらう理由は無いと、父さんも最初は断ったらしいのだが、どうしてもと押し切られてしまったとか。
 それというのも、
「これは主人の命ですから、お断りされてしまうと、私の顔が立ちません。お受け取り頂けるまで、帰る事もままなりません。どうか、私の為だと思ってお収め頂けませんか。」
という、半ば脅し文句のような高橋さんの言葉で受け取らざるを得なかったという話。お見舞いに来て下さった時にも、
「蒼太様が早く戻って来られる事、美果様も心待ちにしておいでですよ。」
と、俺にそっと教えてくれたりして。俺は顔を真っ赤にしながらも、嬉しい気持ちで一杯だった。



 久し振りに訪れるお屋敷。少し緊張が走る。門扉へと歩を進めていくと、人影が見えた。かなりの長身。美果様と同じ位だろうか。光に透ける金の髪。どうやら外国の人のようだ。訝しく思いながらもそのまま近づいていった。
 するとあちらも気付いたようで、こちらに目を向け、人の好さそうな笑みを浮かべた。

 「こちらに西園寺美果さんがお住まいか、ご存知ですか?」
流暢な日本語に少なからず違和感を覚えた。見れば見る程、日本人とは全く違う人種だという事を感じさせる人物なのだ。眼の色も青く、肌も透けるように白い。
「…そうですけど。御用でしたら、俺がお屋敷の方、呼んできましょうか?」
俺の勝手な判断でお屋敷に一緒に入る訳にもいかない。最大限の譲歩案を口にした。
「いえ、それには及びません。失礼。」
くるりと踵を返して行ってしまった。最後に見せた、何とも形容し難い笑みが俺の胸を騒がせた。


 まず呼ばれたのは、お茶の席。燦々と太陽の光が射し込む部屋で、美果様を前にして紅茶を頂いている。仕事にかかると告げたのだが、それは止められてしまったのだ。遅れを取り戻さねばならないというのに。
 しかし、こうして美果様の柔らかな笑顔を見せられてしまっては、抗う事など俺に出来るはずも無く。
「体はもう大丈夫なのですか?」
美果様は先程から俺に尋ねてばかりいる。こんなに心配されていただなんて、むず痒いような嬉しさがこみ上げてくる。
「ええ、すっかり良くなりました。心配をお掛けして、すみませんでした。それに治療費まで出して頂いてしまって、大変なご迷惑を…。」
すっと伸びてきた綺麗な指が、紅茶茶碗を包み込んでいた俺の手に触れた。それで言葉は遮られた。こんな些細な触れ合いでさえも、胸が熱くなってしまうのだ。

 「美果様………。」
温かい眼差しで見つめられて、目が離せない。
「蒼太以上に大事なものなどありませんよ。」
相変わらず言葉は少ないが、それ以上の愛情を眼差しから、仕草から、表情から感じ取れる。今も添えていた手をおもむろに持ち上げ、手の甲に口付けを落とされた。思わぬ事に頬が朱に染まった。恥ずかしくて、でも嬉しくて。その気持ちを誤魔化す様に慌てて話題を変えた。

 「あの、そういえば先程、異国(とつくに)の方がこのお屋敷を眺めてらしたんですよ。」
手を引っ込めながら顔の火照りを見られないよう、俯いたままで言葉を紡ぐ。相槌の返事が無く、不安に思い、顔を上げた。

 するとそこには今まで見た事が無い程、怖い顔をした美果様がいた。
「……何か言われましたか、その方に。」
まるで咎めるかのような低い声。その様子に驚きながらも答えを返す。
「いえ…お家の方をお呼びしましょうか、と尋ねましたけれど、そのまま行かれてしまって…。」
何だか申し訳ないような気分になり、小さな声で答えた。どうしたのだろう。俺が知っているのは、感情の無いような無機質で精巧な作り物のような顔をした美果様と、包み込むような柔和で優しい表情を浮かべる美果様だけで、今目の前にいるのはまるで別人のようだ。
 突き刺すような冷たい眼、硬い表情、微かに寄った眉間の皴。どれをとっても天使のような美しさを持った美果様とはかけ離れていて。
「その人には二度と近づかない事。いいですね。」
念を押すように強く射るような眼差しを向けられた俺は、そんな美果様の姿に不審を抱きながらも黙って頷くしかなかった。




 その夜、俺は思い出していた。美果様の瞳。氷のように冷たい瞳。不安に駆られながらも、それとは違った気持ちも込み上げてくる。胸を焦がすような、熱い気持ち。また美果様の違った一面を垣間見て、嬉しく思っている自分がいる。
「………ぁ……。」
ずくんと身体が疼いた。優しく触れられた指。柔らかい唇が触れた手の甲。その直ぐ後に見せた冷たい顔(かんばせ)。どんどんと身体が熱くなっていく。
「…ふっ……ん…。」
知らず内に下肢に手が伸び、自慰に耽ってしまう。美果様の事を思い浮かべながら。はしたないと思いながらも、止める事は出来ない。罪悪感と快感がない交ぜになり、あろう事かそれが更なる悦楽を呼び起こす。
「……あっ…美果…さまぁ………。」
俺の手には生暖かい白濁が残った。