change you, change me 4




 ふわりと浮き上がるように意識が覚醒する。ぼんやりと目を開けると、外は明るくなり始めていた。普段起きる時間よりかなり早いと感じて、頭をめぐらせて枕元の時計を確認したら5時を少し回った所だった。
 寝返りを打って、目を閉じたけど睡魔はいつまで経っても訪れてくれそうに無い。二度寝は諦めてベッドから起き上がる。夏の朝の定番は汗を流すのにシャワーをざっと浴びるのだが、今日は朝風呂にしよう。たまにはそんな贅沢な時間を過ごすのもいい。
 「ふぅ………。」
夏場は仕事が終わってからもほとんどシャワーで済ませてしまうけど、もともと風呂は好きだ。湯船に浸かりながらぼーっとする瞬間が何とも幸せだったりする。
 昨日は保坂さんを随分と長い時間引き止めてしまった。せっかく早く仕事を上がれたのだろうに申し訳ない事をしたと今更ながらに思う。でも楽しかった。それはもう至福の時だった。少し心を開いてくれたのか、保坂さんは自分の事を話してくれた。
 俺でも知ってるような有名企業の支所で経理をやってるとか、休みの日は溜まった家事をこなすのに精一杯で、特に趣味も無いから家でだらだらと過ごしてしまうんだとか。中高時代に剣道をやっていたという話を聞いた時には俺の人を見る目が間違って無かったのが嬉しくて、ついそう思っていたと熱く語ってしまった。姿勢が良くて、立ち姿だけで目を惹く人はなかなかいないのは確かだ。俺の言葉に少し困ったような表情を浮かべたが、それは保坂さんの照れた時の顔だと知った。
 色々と話してそれだけでもかなり時間は経っていたのだが、離れがたいばっかりにまたも強引にスカルプ&トリートメントコースを押し付けてしまった。実際、最近習得したスカルプケアは施術回数もまだ少なくて、慣れていきたいという気持ちがあったのだ。まあ、それは言い訳なんだけれど。
 (相変わらず、キレイだったな……。)
 あまり手を入れていない髪も鏡越しに見た顔も純粋にそう思った。



 昔から綺麗なもの、可愛いものが好きだった。
 幼稚園の頃、先生に好きな絵を描いてね、と言われて他の男の子達は車や飛行機の絵を描く中、俺は女の子が描くようなお姫様の絵を描いた。カラフルなドレスに身を包んだ、ロングヘアのお姫様だ。大体、乗り物なんかは白や青がメインの色な事が多い。それがつまらないと子供心に感じていたのだ。先生は盛大に褒めてくれて、女の子達には上手だ、すごい、私にも描いて、と大好評だったが、男の子達からはお前は「おとこおんな」だと詰られた。俺にとってそんな評価はどうでもよくて、好きなものは好きだという性格になった。

 まあ、そこまでだったらちょっと変わった子というだけで済んだだろう。それからも色々とあった訳で。その最たる出来事は中学生になってから恋をした事だ。月並みに同じ学校の二つ上の先輩。グラウンドで部活動に励むその人を遠くからずっと見つめていただけの淡い初恋。  月並みじゃなかったのは、それは俺と同じ男だったという事。自分の恋愛対象が同性なのは特に悩んだりしなかった。そういうものか、と思った程度で一般的な嗜好じゃない事に対して困惑はなかった。でもその開き直りに近い考え方が出来たのは、今思えばそれだけ思考が成熟していた、つまり大人っぽかったという事なのだろう。

 そんな分別があった割には初めての相手はどうしようもなかった。
 美容の専門学校を卒業して働き始めて1年程経ってからだった。人生初の彼氏が出来た。顔だけはとてつもなく良かった男に告白されて有頂天になった俺は、それはもう夢中になった。そいつはノンケでは無かったが、バイだった。しかも男も女も寄ってくるような顔立ちと外面の良さ。相手の浮気で喧嘩したのは数知れず、その度に泣いて騒いで結局は絆されて別れる事が出来ずにいた。一つ年下で大学生だったヤツは金の無心をする時だけ甘い言葉で囁いて、それが手に入ればまた遊びに出掛けて浮気をして、それの繰り返し。
 「お前みたいなしょーもないヤツを恋人にしてやっただけでもありがたく思えよ。」
そんな捨て台詞を最後にぷっつりと連絡が取れなくなった。思い返せばムカっ腹も立つがその時は茫然自失状態で無機質なアナウンスが流れる携帯に何度も電話をして、初めて仮病で仕事を休んだ。悲しみや怒りや寂しさのもって行き場が分からずに、いわゆるハッテン場にも足を踏み入れた。飲み明かしたり一夜限りの相手と寝たりもして、しばらくやさぐれた時期を過ごしたけれど、もともと好きで選んだ仕事に救われた。
 寝る間も惜しんでがむしゃらに技術を磨き、仕事にはポジティブに、そして恋愛にはネガティブになってしまった。特にいい男ほど敬遠しがちになって、キレイなもの好きとのジレンマに悩まされて余計に恋愛には縁遠い人間になってしまった。


 風呂を上がる頃にはせっかくの気分が台無しになっていた。冷蔵庫から麦茶を取り出してマグカップに注いで一息に飲み干す。もう一度カップを満たしてソファへ腰を下ろした。こんな気分のまんま仕事に行くのかと思うと自然と溜め息が零れた。
 そこでふと、目線が止まる。可愛らしい箱がローテーブルにちょこんと乗っかっている。
 それを目にしただけで俺のテンションは一気に浮上した。昨日、保坂さんが持ってきてくれたお返しだ。それを手にして箱を開けると、一つずつ包装された小さなお菓子が詰め合わされていた。その中の一つにざらめがまぶされたゼリー菓子があり、懐かしさにほっこりとした気持ちになる。薄いグリーンのこれは何味なんだろうとわくわくしながら口に放り込んだ。爽やかな酸味と甘さが口の中に広がる。マスカット味だ。
 保坂さんがこれを持って店に訪れた時の少しおどおどしたような、困ったような顔を思い出しながら俺はくすりと笑った。




 「あら、これ可愛いじゃない。」
今日のお客さんは大学生の娘さんがいる主婦の恵さんだ。目線の先にあるのは、この間保坂さんが差し入れてくれたゼリーの入っていたガラスの器に水を張り、店の外のプランターにある白いミニバラとその小さな葉っぱを浮かべてあるだけのもの。前にテレビでたまたま見掛けた簡単フラワーアレンジメントというので、そんな風に小さな容器を使って飾っていたのを思い出し、早速やってみたのだ。
「それ、ほんとはゼリーが入ってた器なんですけど、キレイだったから捨てるのも勿体なくて。」
「いいアイデアね。ウチでもやってみるわ。」
恵さんはニコニコしながら指先でちょんとバラの花を突いた。


 仕事を終えて、レジの締め処理を行ってから掃除を始めた。椅子や受付カウンターをダスターでしっかりと拭く。一人のお客さんを終えればそのたびに床を掃き清めているけど、もう一度丁寧に掃いてからシートクリーナーを掛ける。カット台周りを整えていると、ふとそこに飾ったガラスの器が目に留まった。  自然と笑みが零れる。今度保坂さんが来たら恵さんに褒められた事を話そう。きっと喜んでくれるに違いない。

 カランと店のドアベルが鳴り、反射的に決まり文句を口にする。
「すみません、今日はもうクローズで……、っ………。」
振り返りながら、俺は途中で台詞を飲み込んでしまった。
「久し振り。」
あの頃と変わらず自信に満ちた笑顔。髪は前よりも明るくなって、パサつきが目立つような長さになっている。一見優しげな顔立ちだが、俺はそれだけでは無いのを知っている。
「………けいすけ…。」
もう二度と会う事も無いと思っていた男のいきなりの登場に名前を口にするだけで精一杯だった。心臓が不整脈でも起こしたように不規則に波打っている。
 断りもなく当たり前のように店へ入ってきて、けっこういい店じゃん、などと言いながら近寄ってくる。本能的に後ずさるが、そんなに広くない店内だ。すぐに逃げ場は無くなった。
「変わんないな、友哉は。」
放たれた言葉に相変わらず冴えない普通のヤツだと暗に言われている気になる。実際、そんな事を言われて捨てられたのだ。今更何をしにやって来たというんだろう。
「探したんだぜ。お前が前に働いてた所にも聞いたりしてさ。」
いかにも苦労して探し当てたと言わんばかりの態度だが、そんなはずは無い。圭介が急に居なくなった後もずっと同じ店で働いていたし、独立したのだってもう1年も前だ。前の店のオーナーは寛大な人で、お前の指名が入ったらちゃんと紹介するからな、と俺を気持ち良く送り出してくれ、実際にそのツテで俺の店に来てくれたお客さんだっている。問い合わせれば一発でここは突き止められたはずだ。
 「あれから他のヤツとも付き合ったけど、やっぱりお前の事が忘れられなくて。なあ、やり直そう。今度はきっとうまくいくさ。」
ちっとも変っていない。甘い声で紡がれた言葉は浮気のあとの常套句だった。
 勝手に別れて俺を捨てたくせに。ただの金づるが欲しいんだろ。都合のいいセックスの相手が必要なだけ。
 あれから散々頭の中で繰り返した文句がぐるぐると渦巻くのにうまく吐き出せない。こんな男に未練なんか無いのに。涙がこみ上げてくるのを抑え込むのにこぶしを握りしめる。
「友哉だって俺のこと忘れられなかっただろ。」
いきなり抱き寄せられて、耳元で囁かれた。背筋に悪寒が走る。突き放そうと身じろぎした途端、頭を掴まれ、キスされていた。
「ンンッ………やめろっっ!!」
今度こそ必死の思いで突き飛ばして、やっとの事で一言返した。思い切り突き飛ばしたつもりだったのに圭介は少しよろけただけで、そんな怖い顔すんなよ、と余裕たっぷりの笑顔のままだ。
 体中の力が抜けてしゃがみこんでしまった俺に、また来るよ、とだけ言い残し、圭介は出て行った。



 肺が引き絞られるように痛い。目の奥がじんじんする。でも泣いてはいけないと理性が訴えてくる。
 自分が情けない。あれだけ時間を掛けて気持ちの整理をつけたと思っていたのに圭介が目の前に現れただけでこんなに乱された自分が。

 俺は長いこと顔を覆ったまま立ち上がる事が出来なかった。