おててつないで。 3





 飲み会酔っ払い事件の後でも、しのさんはそうやって何だかんだと俺の面倒を見てくれて、世話を焼いてくれる。格好良くて、優しくて、手も俺好みだなんて、世の中には凄い人がいるもんだと感心してしまう。
 サークルに行けばしのさんに会える。その為だけにサークルに頻繁に顔を出していると言ってもいい。
 そんな毎日がほんとにハッピーだ。



 俺としのさんで仲良く出掛けていた。見慣れているような、そうでないような街並み。それでも勝手知ったるな感じで俺たちは歩いている。いい天気に恵まれていて、それもウキウキした気分に拍車をかける。まるで二人でデートしてるみたいだ。
「ゆず、次はどこ行くんだ?」
しのさんは笑顔で訊いてくれる。
「えーと……そうだ!俺、しのさんと一緒に楽器屋さんに行ってみたいかも。」
何となく楽しそうだから、と思いつきで言ったことだったけれど、
「オッケー。」
と快く返事をしてくれて、しのさんは歩き出す。
 俺はその少し後ろをついていく。
 ふといい匂いが漂ってきて、俺はきょろきょろと辺りを見回す。香ばしい匂いの発生源はすぐ見つかった。左前方にあるワゴンのたこ焼き屋だ。二人でたこ焼きを突きながら、なんてのもいい。
 思い立ったが吉日。俺はしのさんの手を取る。
 しのさんはビックリした顔で俺の方に振り返った。
「あれ食べましょうよ。ね、いいでしょ、しのさん。」
俺はしのさんの手を引っ張りながら、ワゴンへ向かう。俺の目的が分かったようで、苦笑しながらこんなことを言う。
「ゆずのおごりなら一緒に食ってやるよ。」
「勿論です!任せてくださいっ!」
俺はしのさんと手をつないだまま、歩き出した。 



 という幸せな夢を見た。目が覚めてからもはっきりとその光景を思い出せる。しのさんの手の感触まで残っていて、朝から機嫌良く家を出た。
 その日も講義が終わってから、当然のようにサークルに行こうとキャンパスを通り抜ける。今日も修二はバイトを頼まれたとかで先に帰ってしまった。丁度サークル棟の入り口が見えた所で見慣れた後姿を発見した。黒いギターケースを肩に下げて、少し長めの髪を無造作に結んでいる背の高い人。
「しのさん。」
小走りに近付いていって、声をかけた。
「お、ゆず。早いじゃねえか。」
しのさんは俺の姿を見て、目尻を下げて笑った。
「何か教授の都合で講義、早く終わったんですよ。」
歩調を合わせてくれるしのさんと並んでサークル棟の廊下を奥へと進んでいく。いつもサークルでしのさんの左隣に座るクセがついているから、左側にいる方がしっくりくる。
 そういえば夢の中で歩いていた時も左側で、握った手は今しのさんがギターケースを持っている左手だったことを思い出す。並んで歩いているシチュエーションも、このいい雰囲気も近いものがある。
「しのさん、俺ね、しのさんの夢見たんですよ。」
嬉しい気持ちを共有したくて、夢の話を口にした。
「へえ、どんなの?」
しのさんは、俺の出演料は高いぞ、なんて冗談っぽく言いながら俺の方を見る。
 興味を持ってくれたらしいしのさんに意気揚々と話し始める。
「道の両脇に店とかいっぱい並んでる街にいて、そこを二人で今みたいに並んで歩いてて。なんか、ただぷらぷらしてるだけなんですけど。俺は『楽器屋行きたい』とかしのさんに頼んで一緒に行ってもらうんです。その途中でたこ焼き屋見つけて、いい匂いしてたから食べたくなっちゃって。それで、こんな風に……。」
俺は夢の中でそうしたようにしのさんの手を取った。

 その瞬間、それまで笑って俺の話を聞いていたしのさんの表情が固まった。驚いたような、困ったような、そんな顔して。
 いきなり手を振り払われた。
 「あ―わりい………。」
しのさんは俺の手を振りほどいた左手で口元を覆い、俺から視線を外した。その口元から漏れ聞こえた小さな声。
 俺は払われた手をどうしたらいいのか分からなくて、戸惑ってしまう。
 (ダメ……だったのかな…)
 「俺、今日は帰るわ。」
しのさんはそう言って、俺と目を合わせることなく歩いてきた廊下を引き返して行ってしまった。
 足早に遠ざかるその背中を俺は呆然と見送るだけだった。



 しのさんの態度がおかしい。 
 次の日、俺が修二と一緒にサークルに顔を出すと、しのさんはいつものようにギターを手にベンチに座っていた。
 しのさんが俺の姿を見た途端、気まずそうな顔をして目を逸らした。
 (あれ?)
 不思議に思ったけれど、俺は大して気にもせずにしのさんの隣に座った。
 でも、がしがしと頭を撫でてくれる手がいつまで経ってもおりてこない。
 いつもなら向けられる笑顔がない。
 しのさんの態度が違う、ただそれだけで俺はいつになく動揺してしまう。サークルの間もしのさんのことばかり気になってしまって、上の空。何が原因なのか考えて、唯一思い当たるのは昨日の手を振り払われたことだけど、それの一体何がいけなかったのかが俺には分からない。
 手を握ったこと自体がいけなかった?でも酔っ払った時にも俺は同じことをしていたらしいし、何しろ手をつないで一夜を共にしてしまった仲なのだ。それを考えれば、手を握ることなんて何でもないと思う。それ以外で何かしのさんの気に障るようなことをしてしまったのだろうか…。
 俺はいつもと違うしのさんの反応に戸惑ってしまって、どうしたらいいのか分からなくて、横目でしのさんの様子を伺うことしか出来なかった。


「どうしたよ?今日はやけに大人しいじゃねえか。」
サークルの帰り道、修二に言われた。
「お前さ、しのさんに何かしただろ。」
「な、なんでだよ。」
いきなり切り出されて、俺はどきりとする。
修二は俺のリアクションを見て、やっぱりか、と呆れた口調で呟く。
「で、何した?」
「えーと………。」

 かいつまんで夢の話とその時のしのさんとのやり取りを話す。しのさんにしたように修二の左手を握って、こんな感じと言うとますます呆れた顔をされた。
「こういうことは普通しねえんだよ。俺はもういい加減慣れたってか、諦めたけどな。」
「だ、だって!この間だって同じことしてんじゃん!」
「あれは酔っ払ってだろ?それとは別だ。お前、しのさんに嫌われたな。」
「ええっっ!?」
「まあ、しばらく様子見るんだな。あんま余計なことすんなよ。もっと嫌われるぞ。」
修二に指摘されたことがあまりにも衝撃的過ぎて、ただただショックで、俺は呆然となった。
 修二の言葉が重く圧し掛かる。俺が何の気なしにしたことがしのさんの機嫌を損ねてしまうかも知れないと思ったら、途端に怖くなった。身動きが取れなくなるような感覚。
 しのさんに嫌われたくない。そう思うと、何をしてもダメな気がしてくる。
 俺は日課のようになっていたサークル通いもやめてしまった。しのさんに会ったら、きっとおろおろするしか出来ないだろう自分が簡単に想像出来てしまうから。
 なるべくしのさんに会わないように行動するようになってから、気付いたことがある。俺はしのさんの一週間のスケジュールをちゃんと把握していて、しのさんに会える機会を一所懸命増やしていたということ。この時間は学食にいるから、今お昼食べに行こうとか、次の講義はあそこの校舎だからこの道を通って行こうとか。 
 分かっているからこそ避けられる。そんな自分がむなしい。


 今日は次の講義まで時間が空く日で、どうしようかと考える。しのさんに会わなそうな場所の候補は図書館。サークル棟の近くだけれど、今の時間ならばったり会うこともないだろうとキャンパスの外れへとぼとぼと歩き出す。
「ゆずちゃん!」
声をかけられて振り返ると声の主は山本さんだった。ほっと肩を撫で下ろす。
「最近サークル来ないのね。どうしたの?風邪ひいちゃったとか?」
決してサークルに顔を出さないことを責めるような口調ではない。ほんとに心配してくれているみたいだ。
「あ……あの、そんなんじゃなくて………すみません…。」
おどおどと謝る俺の様子に山本さんは苦笑している。
「時間ある?ゆずちゃんとしばらく会えなかったから、私、寂しかったのよ。お姉さんに付き合ってよ〜。」
ちょっとふざけた調子で言われて、俺も少しだけ、笑った。

 山本さんが買ってくれたレモンティーのパックを手に、図書館の裏手のベンチに腰を下ろす。山本さんは缶コーヒーを片手に暑いね、なんて普段通りに話しかけてくる。
「しのがさ、最近変なのよね。心ここにあらず、って感じ。」
しのさんの名前が出ただけで俺は大げさな程に肩を揺らしてしまう。山本さんはそんな俺の反応を気にすることなくまるで独り言のように続ける。
「サークル来ても、ボーっとしてて。誰かが部屋に入ってくる度、その顔見ては肩おとして。誰を待ってるのか、バレバレなんだけど。普段どっちかって言えば俺様っぽいのがそんなことしてて、私はちょっといい気味だとか思っちゃうけどね。」
さもおかしそうに笑って、缶コーヒーを一口あおる。
「ゆずちゃんのことが気になって仕方ないみたいよ?」
俯いたまま話を聞いていた俺の顔を覗き込むように山本さんが言った。
「え、でも俺…しのさんに嫌われちゃったみたいだし………。」
「ないない、それは絶対にない。」
大げさな程の手振りとともに断言されても、すぐには信じられない。確かに山本さんはしのさんとの付き合いも俺なんかより長くて、しのさんの性格もよく知ってるんだろうけど、俺のしたことは多分、しのさん的にはNGだったのだ。
 いつまで経っても顔を上げない俺の頭を山本さんがよしよしと撫でてくれる。
「じゃあさ、これあげるから元気出して。」
山本さんはそう言って俺の前に二枚の紙を差し出した。
「今度の土曜なんだけど、私ライブやるんだ。修二君と一緒に来てね。待ってるから。」
はい、と俺の手にチケットを握らせて
「渡せて良かったわ。じゃあ私、これから講義あるから。」
山本さんは最後にもう一度俺の頭をぽんと叩いて行ってしまった。


 山本さんと別れてから、俺も次の講義に出るのに修二と合流した。環境テクノロジー概論という、何を学ぶのか分からないような一般教養科目。出席さえしていれば単位が取れると先輩達のお墨付きの講義の真っ最中だが、俺は隣の修二に小声で話しかける。
「これ、山本さんが修二にも、って。」
ノートに挟んでおいたチケットを渡す。
「今週の土曜日だって。修二、行ける?」
「あ?ライブか?俺は平気だけど、お前…。」
「何?」
「しのさん、来るんじゃねえの?」
言われて気付いた。それはそうだ。山本さんはきっと他のサークルのメンバーも誘っているだろう。そんなことにも気付かない自分のバカさ加減に思わず机に突っ伏して唸ってしまう。そんな俺の頭を修二の手が髪をかき回すようにガシガシと撫でる。

 やっぱり違う。修二の手は確かに好きだけど、こんな風に触られて心地良いとかというのとは違うんだ。あったかくて優しかった山本さんの手も違った。何が違うのかなんて分からないけど、とにかく違うと感じてしまう。
「でも行くんだろ?山本さんからのお誘いだもんな。」
「………うん。」
突っ伏したまま、小さな声で返事をした。
この際、遠くから姿を見るだけでもいい。近付かなければ、話さなければしのさんの気分を害することも無いだろう。後ろ向きなのか前向きなのか分からない理由をつけて自分を納得させる。
「まあ、お前が暴走しそうになったら、俺が殴ってでも止めてやるよ。」
「…お願いします。」
修二の有難いお言葉をもらって、俺は覚悟を決めた。