二人きりの世界で 2




 軽い昼食を済ませて、散策しながらゆっくりと旅館へと帰った。部屋に戻ってから即席で集めた観光パンフレットを広げて、明日はどこに行こうか、何を食べようかと、とりとめもない会話を交わす。1時間程だらだらと過ごしていると、内線の電話が鳴った。学の受け答えからするに夕飯の準備が整ったみたいだ。

 学が電話を終えてしばらくすると、失礼しますと声が聞こえて部屋に料理が運ばれてきた。あっという間に座卓は色とりどりの料理で埋め尽くされる。目でも美味しい、とはこういう事なんだろうと思う豪華さだ。
 何をどう調理されているのかなんかはよく分からないけれど、どれもこれも美味しい。学もいつもと違ってよく食べていた。モデルを生業としている学は普段から節食というのか、体重管理の為に小食なのだ。それが気になって、ついちらちらと学の様子を窺ってしまう。
「どうした?」
視線に気づいた学が問い掛けてくる。
「いや、いつもより食ってるな、と思って。」
「こういう時位はな。見逃してくれよ。」
冗談めかして返された。
「俺は、別に…。」
「同じモン楽しみたいだろ?あー、あれ美味しかったな、とか話したいし。せっかくの二人だけの旅行なんだから、な?」
同意を求めるように俺に微笑みかけてくる。二人だけの思い出。普段あまり共通の話題を持たない俺たちにとって、こういう事は確かに貴重だ。それに、まるで秘密を共有するようで何だかくすぐったい気分になる。
 俺は学の言葉に頷く代わりに、
「……これ、気に入った。」
と魚を皮ごと素揚げにした料理を口に運んだ。




 夕飯を終えて学に勧められるがまま風呂に入る事にした。露天風呂には部屋からシャワー付きの洗い場を通って行けるようになっている。軽く体と髪を洗ってから風呂に入る。コポコポとお湯が流れ落ちる音だけが聞こえている。いわゆる源泉かけ流しってやつだろう。
 学の部屋の風呂だって十分な広さがあるのだが、当然の事ながら趣が全く違う。岩場の中に湯船があるような造りになっていて、いかにもな露天風呂。まだ雪が残っているせいか、仄かに庭が明るく感じる程に抑えられた灯りで照らされている。離れの部屋のせいなのか、雪が音を吸収してしまうせいなのか、他に宿泊客がいる事を忘れてしまいそうな程静かだ。
 背を預けるのに丁度良い岩を見つけてゆっくりと手足を伸ばす。無意識に大きく息を吐いて、目を閉じた。顔に当たる風は冷たいが、それが何とも心地良い。
「気持ちいいーよなぁ。」
思わずぼそりと呟く。
「ほんとだな。」
独り言に返事をされて驚いて目を開けた。ざばっと音を立てて、学が湯船に入ってきた。
「ちょっ…何入ってきてんだよっっ!!」
俺は慌てて体を起こし、思わず隠すように体を丸める。二人で入った所でまだまだ余裕はあるけども、そういう問題じゃない。
「やっぱ露天風呂はいいなぁ。」
俺の言葉を完璧に無視して学は暢気にそんな事を言って俺の横に並んだ。
「あのな、何でわざわざ一緒に入るんだよっ!」
俺は膝を抱えて学を睨みつける。
「ん?なんかまずかったか?」
濡れた髪をかき上げながら横目で俺を見る。悪びれた様子は全く無い。何を言っても無駄だ、こいつ…。
「……なんでもねぇよ、ばか。」
諦めて俺は膝を抱え直した。そりゃ、一緒に風呂に入った事もあるし、ましてや裸だって見た事もある訳だけど、やっぱり恥ずかしいのだ。
 縮こまってゆらゆらと揺れる湯面を見つめる。
「もっとリラックスしろよ、せっかくの温泉なんだから。」
学の腕がすっと肩に回され、俺の濡れた髪を優しく梳く。突っぱねようとしたが、あまりの心地良さにされるがままになってしまう。
 すると、こめかみにキスをされた。
「やめろ、……んっ…。」
急な事で驚いて距離を取ろうと手を伸ばしたが、その手を掴まれ、引き寄せられてやんわりと唇をふさがれた。
 啄ばむようなキスを何度もされて、頭がぼんやりとしてくる。頬が熱い…。
 どさりと庭から音がして、吃驚して学の肩を押しやった。庭木にあった雪が落ちた音みたいだ。それで我に返った俺に一気に恥ずかしさが押し寄せてきた。なにうっとりしちゃってんだ、俺。しかも周りから見えないにしてもここは露天風呂。つまりは外なのだ。
「のぼせるから上がるっ、お前はゆっくりしてろっ!」
早口で言い捨てて、逃げるように風呂を抜け出した。



 体を拭くのもそこそこに浴衣に身を包み、荒っぽく髪をタオルで乾かす。心臓のドキドキは多少治まったものの、のんびり身支度する気にはなれない。居間とは襖で仕切られている寝室へと向かい、そのまま布団に潜り込んだ。
 ここまできて、あんな風に学を放ってきてしまった事にちょっと罪悪感を覚えた。しかし、どうにもこうにも甘いイチャイチャというか、ムード満天な雰囲気には抵抗がある。恥ずかしさが先に立って、心にもない言動をしてしまうのは自覚している。
 学にとってはあの程度はほんの戯れだった事だろう。俺が拒めばあっさりと引いてしまう位に。学はいつだってそうだけど。俺の気持ちをいつでも一番に考えてくれて、優先してくれる。素直じゃない所がかわいい、とか意味の分からない事を言っては俺を甘やかす。
 だとしても、その優しさにいつも頼ってばかりじゃいけない。それも分かっている。いくら寛容な学だっていつかは愛想を尽かすかも知れない。眉根を寄せて考え込んでしまう。悶々とそんな事を考えていたら、スッと襖が開けられる微かな音が聞こえた。

 「なんだ、もう寝てんのか。」
俺に話し掛ける風ではなく、独り言のように小さく掛けられた声。俺は寝たふりを決め込む。気配だけ感じながら、自然な呼吸を装う。額にそっと何かが触れて、前髪をすくっていく。学の優しい指先。
「疲れたんだな。」
微笑を含んだ声。お前の方がずっと運転してて疲れてんだろ、と突っ込んでやりたくなる。俺の事、甘やかし過ぎなんだよ、学は…。
「おやすみ。」
露わになった額に柔らかな唇が触れた。