薫る気配 2





 最初の2日間は薫からのメールと、俺の空いた時間に電話。俺が電話すると、1コールもしない内に出る。あまりの早さに俺が吃驚するとずっと待ってたから、と恥ずかしそうに言う。メジャーになってから、いつの間にか俺の彼女ヅラするような女が増えた。入り待ち、出待ちで必ず寄ってくる女とか、どこで調べたのか、俺の携帯にしつこく電話してくる女とか、ストーカーまがいの事をされるのも珍しくは無い。彼女達はBLAZEのカグラの彼女という地位が欲しいだけだ。他のファンとは違うと、より自分は近くにいるのだと、そう主張したいだけ。そんな女、可愛いと思える訳が無い。
 薫の方がよっぽどいじらしくて、けなげで、真剣に俺を思ってくれていると、そう感じた。


 「明日の夜、時間あるか?デート、しようぜ。」
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
「嫌か?」
『とんでもないです!したいです、デートっ!!』
慌てた様子が電話越しにも想像が出来て、思わず笑う。
『・・・笑わないで下さい。』
小さく、酷いという呟きも聞こえてきた。俺は笑いをかみ殺しながら言う。
「悪かった。じゃあ、この間のカフェで時間も一緒。それでいいか?あ、それと中で待ってろ、今度はな。」
『はい、分かりました。嬉しいです、とっても楽しみです。』
そう答えた声はほんとうに嬉しそうだった。
「ん。じゃあな。」
『はい、ありがとうございます、亮平さん。』
そこで電話を切った。休憩時間を使ってスタジオを出た入り口の脇で掛けていた電話。他のメンバーはスタジオにいるはずだ。

 「最近機嫌が良いと思ったら、彼女が出来たのか?」
急に話し掛けられて吃驚して顔を上げると、ニヤニヤと俺を見るアヤさんが居た。いつの間にスタジオ抜けて来たんだか。
「・・・盗み聞きですか。」
「こんなとこで電話掛けててそれは無いだろう?無愛想なお前がそんな猫撫で声で電話してりゃ、気にもなるさ。」
いつかも聞いたような台詞。俺は昔の台詞をそのまま返してやる。
「悪かったですね、無愛想で。」
「まあせいぜい癒してもらえ。彼女によろしくな。」
お前のそんな顔、久し振りに見たよ、と告げて先に戻るとアヤさんはスタジオへ入って行った。俺は意識的に同じ台詞を口にしたのかも知れない。薫が電話の相手だと、どこかで気付かれたかったのかも知れない・・・。





 デート当日、思ったよりも雑誌の取材が押してしまい、30分程遅刻してしまった。カフェの外から思わずテラスに目をやる。この間と同じ席には女の子が一人、座っていた。中の席で待っているのかと店へ足を速めた。
 さして広くない店内にも薫の姿は見当たらない。あり得ないと思いながらも、帰ってしまったのかと落胆する。店員が控えめに声を掛けてきた。どなたかとお待ち合わせですか?と。あちらのお客様ではないですか?とテラスへと目をやる。その気配を察してか、女の子が顔を上げた。恥ずかしそうに、はにかんだ笑顔。それで分かった。それは薫だった。

 「お前、その格好どうした。」
俺は開口一番、小声で言った。ウィッグだろう肩下まで伸びた緩くウェーブする髪、黒地に淡いピンクの小さな水玉柄のワンピースに、やはり黒の薄手のカーディガンを羽織っている。どうやら薄く化粧もしているようだ。
「あの・・・姉ちゃんに頼んで・・・・・・変、ですよね・・・。ごめんなさい・・・。」
こいつのする事にはほんとに驚かされる。だが、さほど高くない身長に細い身体、透けるような白い肌。男としてはもともと可愛い顔立ちの薫は俺が呆れる程、その格好が似合っていた。
「いや、似合ってるけども。こうしてまじまじ見ても、女の子みたいで可愛いよ。」

「女の子に見えますか?」
おずおずと尋ねてくる様子も上目遣いで可愛らしい。
「ああ。」
そう答えると頬を赤らめて、亮平さんはいつも通り格好いいです、と小声で伝えてきた。言われ慣れている言葉だった。でも薫が口にした途端、何だか特別な響きを持った気がした。妙に気恥ずかしい、けど嬉しい言葉。
「雑誌の撮影したまんま来れば良かったな。」
俺らのバンドはいわゆるヴィジュアル系だから、俺も普段から化粧はする。姉に化粧をされている薫の姿を思ったら、ちょっと可笑しくなって思いついた事を口にした。
「それは駄目です、無理ですっ!俺、こんな間近で『カグラ』の姿見たら、失神しちゃいます!」
「失礼なやつだな、同一人物だぞ。」
ちょっとむっとして俺が言うと、あたふたと焦り出す。その姿がまた可笑しくて、更に言ってやった。
「お前もやっぱり『カグラ』の方がいいんだな。」
わざとがっかりした様に俯く。俺の髪はもともと長いから、こうすると俺の顔は薫からは伺えないだろう。実は口元は笑っていたんだが。違うんです、そうじゃないんです、と更に焦った口調で俺に掛ける言葉を探しているようだ。

「あの・・・それだと他の人にバレて、見つかったりしたら邪魔されちゃうかも、とか。それに、亮平さんって呼べなくなっちゃうし。それに、それに・・・普段のままでも格好いいです、亮平さんは・・・。」
 ああ、何てこいつは可愛いんだろう。そう思ったら笑いは堪え切れなかった。肩を震わせて笑う俺に気付いた薫は、顔を真っ赤にして怒る。からかうなんて酷いです、とそっぽを向くお前。悪かったと謝る俺。凄く幸せだった。

 その帰り道、薫から言われた新たなお願い。
「手を・・・繋いでもらえますか?」
戸惑いがちに問われる。実はそうしてもらいたくて女の格好をしてきたんだと。これなら少なくとも亮平さんが男と手を繋いでた、なんて変な噂立てられたりしないと思って、そんな事を告げてきて。
 薫も色々考えたんだろう。たかが俺と手を繋ぎたいというそれだけの事で、こんな格好までしてきた薫をバカだと思うと同じ位に愛しいと思った。俺は迷う事無く薫の手を取った。薫の方に目を向けると恥ずかしそうに、ありがとうございますと言う。緊張のせいか少し強張っている薫の手の平から伝わってくる体温に、俺はこれまでに無い程の安らぎを覚えた。




 それからはなかなか時間が取れなくなってしまい、とりあえず俺から電話を何度か掛けた。大体のスケジュールを伝え、それ以外ならいつ掛けてくれてもいいと言ったが、薫は断ってきた。疲れていて、寝ている時とかに邪魔したりしたら嫌だからと。本物の恋人じゃないから、と。寂しそうに呟かれた言葉がいつまでも耳に残った。
 あの約束から丁度1週間後、1日のオフが取れた。薫との恋人ごっこの最後の日。俺はある決心を胸に、薫に休みの事を伝える為に携帯を手に取った。