薫る気配 3





 インターフォン越しに見える薫の緊張した面持ち。手に何か提げている、土産のつもりだろうか。
「いいぞ、そこのエレベーターで8階の805。一番奥だから。そこでもう1回ドアフォン押してくれるか。」
『は、はい、分かりました。』
ぎくしゃくとした動きを見せてモニタが切れた。その緊張振りに思わず笑みが零れる。しばらくして、今度はドアフォンの音が聞こえてきた。鍵をはずし、ドアを開けてやる。
「ほら、入れよ。」
「あ・・・あの、ほんとに良いんですか?おうちに、なんて・・・。」
「いいから、ほら、上がれって。あんまキレイにしてないけど。」
これは嘘だ。さっきまで必死に掃除をしていたなんて事は教えてやらない。
「お邪魔します。」
薫はペコリと頭を下げてようやく俺の部屋へと足を踏み入れた。突っ立ってないでそこに座ってろとリビングのソファへ促し、俺はほとんど使う事の無いキッチンに入り、コーヒーを淹れた。リビングに戻るとソファの端っこに申し訳無さそうに畏まって座っている薫の姿があった。でも気になるのか、TVの脇に立てかけてある俺のギターをまじまじと見ている。
「そんな隅っこに座んなくたっていいだろ。」
その目の前にマグカップを差し出して、苦笑と共に言ってやる。
「あ、すみません、ありがとうございます。」
と謝りつつ、両手を差し出してコーヒーの礼を述べる。俺も同じソファに腰を下ろし、一緒にコーヒーを味わう。

 「それ、何持って来たの?」
気になった荷物の事を尋ねてみる。
「・・・良かったら、俺がお昼作ろうかと思って材料買ってきたんです。といっても簡単なものですけど・・・。食べてもらえたら嬉しいな、って思って・・・。」
「薫・・・。料理出来るのか?」
これまた驚かされた。男でなかなかこの発想は無いだろう。事実、俺は全くといっていい程、料理が出来ない。若干の不安が声に出ていたのか、薫は慌てて言う。
「初めてとかじゃないですよ!ちゃんと家でやってますから、味はそこそこだと・・・。亮平さんの口に合うかどうかは分からないけど・・・。」
最後まで強気で言い切れない薫らしい台詞。俺は笑みを深くして、薫の頭を撫でてやる。
「手料理、久し振りなんだ。楽しみにしてる。」

 遅めの昼食。薫が作ってくれたのはペペロンチーノとサラダ、デザートにオレンジソルベ。大したもんだ、上手いと褒めてやると、嬉しそうに笑った。母が早くに亡くなって家で姉と家事は分担してやってるから、掃除も結構得意ですよ、と少し寂しそうに、それでもちょっと自慢げに俺に語った。
 さっきギターを見てたから何か弾いてやろうか、と言ってやったら目を輝かせて喜んだ。俺はずっと前に薫が一番好きだと言っていた曲を1コーラス、歌も付けてやった。練習の時や作曲作業の時には偶に歌を口ずさんだりもするから。俺がギターを弾いている間、薫はぽかんと口を開けたまま俺の姿を凝視していた。終わってしばらく経ってからぼそっと呟いた、ギターも上手くて歌も上手いなんてズルいです、と。



 薫も最後の日だと意識しているのか、会話は途切れがちになる。ふとした瞬間に見せる、窓の外を見やる切ない横顔。日も暮れかけてきた頃、薫は寂しそうに口にした。
「あの・・・・・・1週間、ほんとにありがとうございました。俺、幸せでした、こんなに優しくしてもらえて。」
それに、と言葉を繋げる。
「好きになる人、間違ってなかった、って・・・。」
そう言って俺の顔を見た薫は今にも零れそうな涙を溜めて、それでも必死に笑顔を作ろうとする。その顔はあまりにも綺麗で、儚くて・・・。俺はそっと薫を抱き寄せた。

 「今度は俺のお願い、聞いてくれるか?」
胸にすっぽりと収まる程、華奢な身体を抱き締めながら話し掛ける。
「期限付きじゃなく、俺と付き合ってくれないか。」
俺の言葉に薫の肩が揺れた。俺は小さな声でゆっくりと告げた。
「好きなんだ、薫・・・。」
「・・・・・・・・・亮平さんてば、最後まで優しいんですね・・・。」
くぐもった声が聞こえてきた。俺は顔を上げさせ、両手で包み込むように頬に手をやり、薫の目を真っ直ぐに見つめた。
「嘘なんかじゃない。お前といるとすごく安心する、幸せになる。お前を可愛いと思う、守ってやりたいと思う。誰かに対してこんな気持ちになったの、初めてなんだ。側にいて欲しい。本気だ、好きなんだ。・・・これでも信じられないか?」
目を見開いて俺の告白を聞いていた薫はみるみる顔を崩した。涙が次から次へと零れ、俺の指を濡らしていく。うそ、と呟いた唇に落としたキスは、涙の味がした。