恋心 2





 帰り道の途中でファミレスへ寄り、夕飯を食べた後、やはり翔は寝てしまった。あれだけはしゃいだのだ、疲れたのだろう。後部座席に翔を寝かせ、俺は助手席に乗り込んだ。
「ご馳走になってしまってすみません。それに、今日は本当に楽しかったです。ありがとうございます。」
先に口を開いたのは彼の方だった。運転をしてくれ、翔の面倒を見てくれたからと俺が夕飯代を払った。と言ってもたかがファミレスなのだ。大した額では無いのに、こうして律儀に礼を述べる。そう、最近の若者にしてはきちんとしているのだ、彼は。
「いや、こちらこそ本当に面倒を掛けてしまって。」
「いつでも言って下さいね。俺、休みの日は空けておきますから。恭司さんと翔君の為に。というより、また俺から誘います、デート。」
屈託の無い笑顔で無茶苦茶な事を言う。しかし不思議なものでそういう事を言われるのに慣れてしまったようだ。

 「君はどうしてそうなんだ。他にいくらでもいい相手がいるだろう。」
ため息混じりにそう漏らす。男の俺から見ても、彼はもてるだろうと思う。背も高く、顔も悪く無い。例え彼が男しか愛せないのだとしても、もっと彼と釣り合うましな相手を掴まえられるであろう。
「俺、言いましたよね、一目惚れだって。でも今日一日、一緒に過ごしてもっと好きになりました。何に対しても真面目で、すごく一所懸命な所とか。尊敬します。」
そう語る彼の口調にふざけた調子は感じられなかった。
「・・・それで俺は妻に逃げられたんだ。」


 俺は今まで誰にも話していなかった事の顛末を語っていた。
 以前勤めていた会社で知り合って結婚をした事。俺なりに彼女を大切にしていたつもりだった。しかし、それだけでは不満だったようだ。子供が出来て、少しは変わるかと思った生活も変化は訪れなかった。
 彼女は刺激のない平凡な俺では満足出来なかった。ベンチャー企業の社長だとかいう男と連れ立って家を出て行った。事情を知る会社にも居辛くなり、また翔の為にも時間に融通の効くフレックス体制を取り入れている会社へ転職し、それによって、やっと翔との生活を始めたばかりなのだという事。
 話してみて気が付いた。こうやって話を聞いてもらう相手すらいなかった自分に。気持ちの余裕も無かった、周りの目も気になっていた。子供や親の手前、落ち込んでばかりもいられなかったし、男としてのプライドもあった。こんな事で泣き暮らす事等出来ないと。父親として翔に不自由させる事なく生活させてやりたい、幸せにしてやりたいという決意もあった。

 「彼女は可哀想な人ですね。」
彼の口からそんな言葉が漏れた。
「こんな情けない男と結婚した事が、か。」
「いえ、恭司さんがこんな素敵な人だって事も、翔君があんなに可愛い子だって事も分からなかった彼女が可哀想だな、って。」


 マンションに着いて、俺はすっかり寝入っている翔を背負い、もう一度彼へ礼を述べた。
「今日は本当にありがとう。」
「いえ、また今月中にでも何処か行きましょう。今度は水族館とか遊園地とか。誘ってもいいですか?」
彼の考えている事が分からない。これは冗談なのか、それとも本当に本気なのか・・・。しかし、無下に扱う事が何故か出来ない。動物に懐かれたような、そう、懐かれて、情が移ったとでもいうような。伺うような目で俺を覗き込んでくるその瞳と仕草は、何だか大型犬を思い起こさせる。
「・・・もし君の迷惑にならないのであれば・・・。」
目線を逸らし、ぼそぼそと呟いた俺に、彼は満面の笑みを浮かべた。
「迷惑な訳無いじゃないですか。でも、その代わりにこれを頂きます。」

 その言葉が耳に入った時には、街頭の明かりが遮られ、唇に柔らかい感触があった。

 「ご馳走様でした。じゃあ、また連絡しますね、恭司さん。」
笑顔でそう言い残し、彼は再び車に乗り込み、帰って行った。正気に戻って彼にキスされたと気付き、呆然となった。まさか、からかう為にここまではしないだろう。しかし、どこかで納得した自分がいた。彼の笑顔にも言葉にも嘘は無いと感じていたから。




 それから何度も彼に誘われて色々な所へ出掛けた。必ず翔も一緒に遊べるような所を見繕っては俺達を連れ出してくれた。彼のおかげで俺は不器用ながらも翔ときちんと親子として過ごせるようになっていった。
 そして、翔の目の届かない時にだけ、不意打ちのように彼は俺を抱き締めてキスをしてきた。好きですという言葉と共に。やめろと言ってもまるで聞く耳を持たない。そんなやり取りも俺の日常になっていた。もうこの時には俺は絆(ほだ)されていたんだと思う。


 翔と二人きりで迎える初めてのクリスマス、のはずだった。ダイニングのテーブルの上には翔が幼稚園で作ったという粘土で出来たクリスマスツリーが飾られている。ケーキを用意してきたのは彼だった。
 俺は思わず聞いてしまったのだ。クリスマスの予定はあるのか、と。彼は当然とでもいうように、恭司さんの為に空けてありますと答えてきたのだった。俺とあきらせんせいからのクリスマスプレゼントにケーキもあって、翔はご満悦だ。
「翔、サンタさんからは何がもらえるんだろうな。」
「ようちえんでおねがいしたよ。ちゃんときいてくれるかな?」
「翔君はいい子だから、きっとサンタさんもお願いきいてくれると思うな、先生は。」
ほんと?と返事しながらニコニコと嬉しそうにケーキを頬張る翔に思わず目を細めた。翔が何をお願いしていたのかは、彼が事前に教えてくれていた。きちんとその分も用意してある。
 クリスマスのご馳走を平らげて眠そうにしていた翔をベッドへと連れて行き、ちゃんと靴下をベッドヘッドに掛けさせた。そのまま寝かしつけ、俺はリビングへと戻った。

 「サンタを信じてるなんて、まだまだ可愛いですよね。」
彼は食器を片付けながら微笑んで話し掛けてきた。
「ああ。そのままでいい、明日片付けるから。」
いいですよ、これくらい、と彼は洗い物をしながら俺に告げる。俺はその彼の隣に立って、洗いあがった食器を拭きながら、悪いなと声を掛けた。コーヒーを淹れなおし、リビングのソファでクリスマスの特番らしい歌番組を二人で何とはなしに見る。コーヒーを一口飲んでから、思い出したように彼は自分の荷物からガサゴソと何かを取り出した。
「これどうぞ。恭司さんへのクリスマスプレゼントです。」
包みを差し出しながら、いつものように満面の笑み。ああ、と軽く頷いて受け取ってから、俺も用意していた物を差し出した。

 「俺に、ですか?」
そう言った彼に押し付けるようにそれを渡すと、彼は受け取ったものを見つめ、ありがとうございます、と笑顔で答えた。
「開けてみてもいいですか?」
彼に訊かれ、俺は無言で頷いた。きれいにラッピングの包みをはずし、中身を取り出した。吃驚したようにまじまじと手元のそれを見つめている。年下の、しかも男相手にクリスマスプレゼントなんて選んだことなど無かった俺は、何にしようか本当に悩んだ。翔のプレゼントを買いに行ったデパートで見つけたキャメルブラウンのマフラーにしたのだが・・・。