可愛くないのが 2




 あれから1週間、学からの連絡は無い。かくいう俺も連絡してないし、部屋へも行っていない。一日に何度も携帯を確認したり、俺からメールしてみようかとベッドの中で携帯を抱えて過ごした。 あんな風に気まずい状態で別れた事は今まで無かったから。ちょっとした喧嘩みたいなものもしたけど、その時はいつも学から悪かったと言われて、それに従う感じに俺が会いに行く、そんな感じだった。 謝り方まで知らない不器用で素直じゃない俺。今回も俺は自分でどうしたらいいのか分からず、途方に暮れていた。このまま別れる事になっても、俺はきっと何も言えない。バイトの作業を黙々とこなしながら毎日が過ぎていく。
 客の気配を感じていらっしゃいませと声を掛けると坂木の連れ、『リツ』という子だった。今日もデートなのか。
「こんばんは。」
と俺にもぺこりとお辞儀をして挨拶をしてくる。隣の坂木は相変わらずデレデレだ。
「ね、秀ちゃん。表に凄い車が停まってたんだけど、それっぽいお客さんいる?フェラーリだよ、俺初めて生で見ちゃった。」

 小声で隣にいる坂木に話しかけていた言葉に思わず反応する。確か学の車もフェラーリだ。初めて乗せてもらった時にさすがに俺もちょっと興奮したからよく覚えている。
「いや、今お客さん誰もいないはず。ねえ、有栖川さん、そうっすよね?」
確かに今は客はいない。俺は軽く頷いて返したが、胸はドキドキと早鐘を打っていた。もしかして、学・・・なのか。バイトは後5分程、引き継ぐメンバーもすでにロッカールームで支度をしている所だ。 今日は坂木も俺も同じ時間に上がるシフトだ。
「もうすぐ上がりだから俺も是非拝まないといけないな、フェラーリ。そんな凄いやつだったのか?」
「うん、赤のいかにも!って形のF1とかで観るようなやつ!!どんな人が乗ってるんだろうね。これでお腹の出たオジサンとかだったらがっかりしちゃう。」
「だよな〜。やっぱりすげー格好いい兄ちゃんか、誰もが振り返りそうな美人とか。でもそもそもコンビニに停めてる時点で持ち主はどうなんだって話だよな。」

 二人の話を耳にしながらも俺は時計を睨み付けるように見ていた。秒針が進むのが遅く感じてしまう。交代のメンバーが店に入って来た。お疲れ様ですとお互いに声を掛けながら入れ替わりに店の裏のロッカルームへ急ぐ。坂木も入ってきた。
「有栖川さんも見てきましょうよ、フェラーリ。ベンツとかBMWなんかは高級車って言ってもまだ見かけるじゃないっすか。フェラーリとかポルシェとか、その辺のはまず街で見掛けないですもん。」
「ああ、そうだな。俺も1回しか無い。」
「マジっすか、すげ〜。」
何が凄いのかよく分からない。坂木も待ってるやつがいるからか、いそいそと着替えている。お互い帰り支度が整って店をあとにする。



「秀ちゃん、ほら。あれあれ!」
あの子が店の入り口で待っていて、興奮気味で坂木に話しかける。俺もそっちに目線を送った時、運転席のドアが開いた。車の中から現れたのは日本人の平均をはるかに超える長身、 真夏だというのにジャケットを羽織り、それでも暑さは感じさせない涼しげな顔。いつものように薄い色のグラサン。間違いようが無い。
「あ、俺あの人知ってる!モデルの人!うわーさすがって感じ。圧倒されちゃう。」
『リツ』が更に興奮した口調で坂木の腕にしがみつくように訴えている。
 ゆったりとした足取りでこちらに歩いてくる。学は俺に向かって軽く手を上げた。二人は驚いた顔をして俺を見る。
「有栖川さん、知り合いなんすか!?」
俺は凍りついたように動けずにいた。何で学がこんな所に…。俺の頭の中で最悪の状況がどんどん浮かんでくる。別れ話だからメールや電話で済ますのが悪いと思ってわざわざ会いに来たんじゃないかとか、 あの車の助手席には新しい彼女か彼氏が乗ってるんじゃないかとか。まさしく顔面蒼白になっていたと思う。二人の言葉も聞こえていたが、返事する余裕なんて何処にもなかった。俺の視界に入っているのは学の姿だけだった。
 気が付けば目の前に学がいた。凝視する俺。

 ふっと学が笑った。いつもするみたいに俺の頭に手を乗せて、顔を近づけてくる。まさかこんなとこでキスするのか、こいつ、冗談じゃないと思ったら、学は俺の耳元に唇を寄せて、俺にしか聞こえない小さな、そして艶を含んだ声でそっと囁いた。
「お前を攫いにきた…。」
一瞬何を言われたのか理解出来なかった。しかし、次の瞬間、俺の顔はユデダコのように真っ赤になって叫んでいた。
「バカっ!!なんてこと言ってんだっ!1週間も連絡寄越さねえと思ったらこれかっ!」
決して本気じゃないけど、学の胸をどんっと小突く。学は俺のそんな様子をニヤニヤと眺めている。やけに楽しそうだ。その時の俺は周りの事を失念していた。そう、坂木とその連れがいる事を…。 俺らのやり取りを目を見開いたまま見つめていた彼らに気づいた俺は、穴があったら入りたいと思う程猛烈に恥ずかしくなった。固まった俺を促すように腰を抱き、学は彼らに目を向けた。
「君らもデートなんだろ?そんな可愛い恋人放っておいたらダメだぜ、彼氏君。それじゃ、お先に。」
呆然とする二人を残して、俺は学に引きつられるまま助手席にエスコートされる。恥ずかしさの余り何も考えられない俺はとにかくこの場を早く逃れたいとそればかり考えていて、こんな女がされるようなエスコートに文句を言う事も忘れていた。





 取り残された二人はというと…
「……恋人同士って事だよね?」
「…だな。にしても、俺、有栖川さんがあんな風に顔真っ赤にして怒ったりするなんて、初めて知った…。」
「なんか印象と違うね。クールな感じだったけど、あんな可愛いとこもあるんだ、なんて思っちゃった。それより、格好いいよね〜、フェラーリ乗ってお迎えなんて。しかも可愛いって言われて、俺ドキドキしちゃった。」
「お、おいっ…あの人はダメだぞ!有栖川さんの彼氏なんだからっ!!!っていうか、律には俺がいるだろ!」
「じゃあ、秀ちゃんも頑張っていつかあんな車で俺を迎えに来られる格好いい男になってね。」
「………頑張ります…。」