さりげない朝を 2




 それからなかなか学と会える日も無くて、電話やメールで連絡を取り合うだけの日々が続いた。あんな事があっても学はいつも通りで、とてもその事を話題にするような雰囲気にはならない。俺一人が悩んでるみたいでちょっと癪に障る。
 土曜日、いつもなら夜中のバイトが入る日だったが、替わって欲しいと頼まれて、昼一番の講義のあとに暇を持て余していた。何気なしにポケットの中に入っている学の部屋の鍵を弄ぶ。癖みたいになっていて、気が付くとポケットに手を突っ込んで鍵を弄ってしまっている。
(いつでも来ていい、って言ってたもんな。)
心の中で言い訳するように呟いて、鍵をぎゅっと握り締めた。



 「お邪魔します。」
居ないだろうと思いながらも一声掛けてから学の部屋へと上がり込んだ。少し緊張しながら、リビングに脚を踏み入れた。相変わらず物が少ないさっぱりとした部屋だ。おみやげという程では無いが、持ってきたペットボトルのお茶を冷蔵庫に入れて、自分用に買ってきた500のペットはしまわずにおいた。
 何となく座る位置も決まったソファの右端に腰を下ろし、テレビをつける。土曜の夕方なんて大したものがやっているはずもなく、いつだかのドラマの再放送をやってるチャンネルでとめた。それを見るとはなしに眺めながら、これも持ってきた菓子を摘む。メールで連絡を入れようと思いながらも何だか躊躇われて、てきとうな時間に帰ろうと心に決めて、そのままにしていた。
 ぼんやりとTVを見ていたら、ふと課題が出ていた事を思い出し、暇潰しがてらに取り掛かる。こんな事をするのなら家に帰ればいいのだが、妙に居心地が良い学の部屋を離れがたい気持ちになってしまう。

 「いらっしゃい。」
「おぁっ!」
急に声を掛けられ、驚いて思わず変な声が出た。いつの間に帰ってきたのか、ラグに座り込んで課題をやっていた俺の側にしゃがみこむ。テレビを付けっぱなしにしておいたから、玄関の開いた音にも気付かなかったらしい。
 俺の様子を見て喉を鳴らすように笑いながら、俺の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「来てたんなら連絡入れてくれれば良かったのに。速攻で帰って来たのによ。」
俺の顔を覗き込んでくる学は目元を緩ませていた。その笑顔にとくんと心臓が高鳴る。
「い、いや、帰るつもりだったし、俺…別に……。」
言い訳のようなものを口に出してはみたが、意味の無い言葉を羅列しただけだった。
「そんな事言うなよ。メシ、まだだろ?食いに行こうぜ。」
俺の言った事を気にする風でもなく、俺を外へと連れ出した。



 気まずい……。
 結局二人で以前にも行った事のあるイタリアンの店に連れて行かれ、再び部屋に戻ってきた。完全に帰るタイミングを逃してしまって、どう切り出そうか、さっきから考えているものの口に出せないでいた。それを知ってか知らずか、学は俺の隣で暢気に煙草を吸いながらテレビを見ている。
「明日は?」
「えっ?」
急に声を掛けられてびくりと肩を揺らして、学の方を見やる。
「バイト入ってんのか?」
「あ、ああ……夜から、だけど。月曜は昼過ぎからの講義だから。」
「そっか、なら泊まってけよ。明日送ってやるし。」
事も無げに言われた一言に俺の心臓がどきりと跳ねた。
「決まりな。じゃあ、俺、風呂入ってくるわ。」
煙草の火を灰皿に押し付けてソファから立ち上がる学の姿を目で追う事しか出来ない。
「それとも一緒に入るか?」
片方の口端だけ上げて、揶揄うように言った学に俺はクッションを投げつけてやった。
「ば、ばかっ!っざけんなよっ!!」
いとも容易くクッションを受け止めて、俺の胸元に押し返した。いい子で待ってろ、と一言残して、俺の頭を一撫でしてバスルームの方へと姿を消した。

 面白いはずのバラエティ番組も今は只の雑音でしかない。これはそういう展開になるんだろうか、やっぱり。返されたクッションを抱えながら考え込んでしまう。それなりの時間に、それなりの大人が一緒に泊まる訳だし、それに……恋人同士、だし。全く意識していないような学の様子にやきもきさせられて、俺だけが空回っているみたいな気がする。一応、彼女だって居た事もある、そういう経験もある。でもこんなにドキドキしただろうか。男同士だって事を抜きにしても、こんな風に胸が騒いだ事は無かった。
それだけ学が好き、って事なのか……。
 そんな考え事をしていたら結構な時間が過ぎていたらしく、まだ濡れた髪をタオルで拭きながら学がリビングへと戻ってきた。
「お待たせ。お前も入るだろ?用意、しといたから。脱いだもんは洗濯機に放り込んどいてくれ。」
「あ……うん……。」
風呂上りの学の姿にどきりとしたが、それを振り払うように俺はバスルームへと足を向けた。






 ついからかってしまうのをやめられない。透真の反応が可愛くて、わざと余計な事を口に出したり、してしまったりするんだ。
 こんな風に愛おしい気持ちになるのは初めてだ。どんな姿も可愛く思えて仕方が無い。
 でも、だからこそ慎重にもなる。この間だって先に進もうと思えば出来ただろうし、今までだったら成り行きでベッドに、なんて事が当たり前だった。そうならなかったのは、いや、そうしなかったのは相手が透真だからだ。
 男と経験が無い事は分かり切っていたし、無理強いのようになるのは嫌だった。透真は欲求不満をただ解消する為だけのような、今までの相手とは違う。透真が好きだから抱きたいと、身体よりも心が先に求めた。
 渡した鍵を使って貰えた事が嬉しくて、思わず泊まればいい、なんて言葉が口をついて出た。急ぎ過ぎているかも知れないと思ったが、言ってしまったものは仕方が無い。それでも透真の反応はまんざらでも無かったように思う。この間の事があっても、こうやって俺の所に来てくれたんだからと期待してしまうのが男って生き物だ。
 まあ、多少強引にでも迫っていかないと、一生お預けをくらってしまいそうだと、思わず苦笑が漏れた。

 俺がこんな事考えてるなんて知ったら、透真は怒るかも知れない。頬を染めて、眉間にシワを寄せながら、バカという透真の顔が浮かぶ。
 (そんな所も可愛いんだけどな。)
一人口元を緩ませながら、ラックから俺のお気に入りのワインとグラスを用意する事に決めた。