始まりは突然で 3




 カメラのフラッシュが光る。でも今日の撮影はインタビューに合わせてのものだから、簡単なものだ。インタビュアーと話している合間の様子をそのまま撮影するだけ。

 「先日の写真、拝見しました。いつもとまた雰囲気の違う、飾らない姿という感じでしたが。」
ベテランの雑誌編集者は柔らかい物腰で話し掛けてくる。堅苦しいのはあまり好きじゃないというのをちゃんと知っていたのだろう。会社のビルのこじんまりとした一室を用意して、最低限の人数での撮影となった。
「そうですね。カメラマンも以前からお世話になっている方でしたし、肩肘張らずに、というのを求められましたから。」

 使われた写真は最後の方に撮ったものだ。俺が透真の膝に頭を預け、透真の頬辺りに手を伸ばしていて、透真はソファの背もたれに肘を付き、手を髪に突っ込んだ状態で仰のけている。しょうがねえな、という台詞が聞こえてきそうな表情。俺は目を伏せて笑っていた。
「学さんはああいったお仕事とコレクション等の仕事とどちらが好きですか?」
「…どちらでしょうね。仕事としての区別は付けていないつもりですけど。」
半分は本当、もう半分は嘘だ。この間の撮影は何故だか心から楽しいと思った。この仕事をしていて良かったと思う程に。でもそれは、撮影の形態の問題では無い。相手の問題だ。ひとえに透真というあの青年のせいだと俺は自覚していた。
「あの時の撮影は素人のモデルさんが相手だったそうですが、そういった事は初めて?」
「ええ。新鮮でしたね。でも、だからこそあの雰囲気が出せたんだと思ってます。」

 今までの相手役は俺をどこかで意識していた。媚売るようだったり、尊敬だったり、敵対心だったり、そういった視線で俺を見るやつらばっかりで。モデルとしての俺しか見られていなかった。だから俺もモデルとしての顔しか見せなかった。
 それなのに、あの時は違った。あれはただの学、だ。モデルとしては失格だったかもしれない。でも、それでも良かった。透真の緊張していない素の顔が見たかった。
「相手の方もいい表情されてましたね。ラフな感じがジーンズのイメージにも合ってましたし。」
「とてもやり易い相手だった、という事は言えますね。」
なる程、といいながらインタビュアーは時計を見やる。俺もつられて時間を確認した。

 もうそろそろお時間なので最後の質問に、と言われた。
「これは読者からとても多い質問なのですが、ずばり学さんの好みのタイプとは?」
笑みを浮かべて尋ねられた。
「そうですね……自由奔放というか、俺にべったりじゃなくて自分を持ってる人がいいですね。従順な犬みたいなタイプより、猫っぽいというか。ああそうだ、シャム猫でしたっけ?鼻先とか耳とかが茶色くて、ちょっとツンとした感じの。からかった時の反応とかが読めなくて、飽きないですよね。」
思わず俺も笑みが零れた。頭に浮かんだのは透真の姿だった。
 どうしてか、からかいたくなった。こいつはどんなリアクションを返すんだろうと、単純に興味を惹かれた。赤くなったり、怒ってみたり、どうにでもしてくれと諦めた顔してみたり。どれもこれも鮮明に思い出せる。そんな自分に気付いておかしくなった。
 ああ、俺はきっと透真という存在に惹かれているんだ。
「随分具体的ですね。イメージされてる方がいるんでしょうか?」
「………ええ。今気付きました。」




 取材が終わり、一度事務所に戻ったが今日この後はオフだ。自ら運転して自宅マンションへと車を走らせる。自分でも驚く程浮かれていた。
 あまり愛情のある家庭に育った訳でも無かった俺は、誰かに興味を持ったり、好きになったりという事に疎い。俺の母親もモデルだったそうだ。写真でしか記憶にない母の姿。母は一人に縛られるのが我慢できないタイプだったようで、結婚してからもそれなりに遊んでいたらしい。子供が出来たからといって、その性格は変わらなかったようで、俺を産んですぐまた別の男を愛するようになった。愛想を尽かした父が母を追い出すような形で両親が離婚して、俺は父方に引き取られた。成長するにつれて母に面立ちが似てきて、そんな俺を父親は段々と遠ざけるようになった。憎んでいたのかも知れない。高校に入ってバイト感覚でモデルを始めたのもそれに拍車をかけたのだろう。その父も5年前に死んでしまったから、今となっては父親の真意は分からない。
 でもそれは俺にとって、どうでもいいことだった。それを不満に思った事も無かったし、人生こんなもんだと思っただけ。自分の容姿を特に優れていると思った事も思い入れも無かったが、母親譲りの顔のおかげか、何もしなくても女は寄ってきた。告白されて付き合った事もしばしば。
 だが、どれも長続きした記憶が無い。俺が付き合うのは特に断る理由が思いつかなかったというだけで、好きでも嫌いでも無かった。そんな事ですらどうでも良かった。付き合う事になればその間他の人間と寝る事は無かったが、しばらくしたら彼女達は自分から別れを告げてきた。同じ位に、いやそれ以上に愛情を注いで欲しいと願う気持ちに一向に応える気配の無い俺に耐え切れずに。

 いつの間にか来るもの拒まず、去るもの追わずというのが当たり前になった。本格的にモデルの仕事を始めてからは更にそういった相手が増えた。この世界には男が好きなやつも多い。でも男に言い寄られた所でとかく変わりは無かった。ただどんな相手でも執着を感じないというのも変わらなかった。後腐れの無さそうな相手だけ選別するようになった。モデルとしての俺の容貌に、地位に惹かれて、俺と寝たという事実だけで満足出来る相手。


 節操が無いと言われればそれまでだ。決して人に誇れるような遍歴では無い。これまでは特に自分のスタンスを変えようとも思わなかったし、変わる事も無いだろうと思っていた。
 でも今は違う。俺は初めて他人に興味を持った。透真という存在に惹かれた。こんな風に高揚する気分を味わっているのは俺が生きてきた上で初めての経験だった。もっと色んな表情(かお)が見たい。触れてみたい。
 俺を好きだと言った人間達も同じように思っていたのだろうか……。